萩尾望都私論その5 私の赤い星1「母からの逃亡」
佐々宝砂

さて私は嬉しい。ようやく1970年代後半にたどりついて、今から『スター・レッド』(1978〜79)のことを話せるからだ。この時期の萩尾望都はどっぷりとSFの人になっていて、ブラッドベリの短編や、光瀬龍の長編『百億の昼と千億の夜』をマンガ化している。テーマの重さ暗さとは無関係に、好きでたまらないことをやっているみたいに楽しそうにマンガ化していると思うのは、私だけだろうか。私も基本的には好きなことしかやりたくない。だけど好きなことをやるってゆーの、実はなかなかたいへんなことなのだった。萩尾望都が好きにSFマンガを描けるようになるまで、どれだけたくさんの壁を破らねばならなかったか。社会的な立場の壁だけでなく、自分自身の精神的な壁が強固に立ちはだかっていただろうに。

私がリアルタイムに萩尾望都を読み始めたのは、だいたいこの時代にあたる。1978年ころだ。当時10歳の私の家にはSFマガジンが創刊号からあって、ハヤカワのSFは青背も白背も銀背もあって、創元推理文庫はもとより創元ロマン全集まであって、それらを買ったのは私ではなく私の母親だったから、私はSFに全く不自由していなかった。SFを読みたければ、おかーさんの本棚を見ればそれで済んだ。私は少女マンガをほとんど読まなかった。私には無関係なもののような気がした。一方私は少年マンガとくに少年チャンピオン(当時『ブラック・ジャック』連載中)と少年サンデー(言わずと知れた『まことちゃん』連載中)が大好きで、私の親もまた変な親でそういうものが大好きだったから、私の枕には、なんと母親手縫いのまことちゃんグワシ刺繍がなされていた(いま思えば、よくあんなもんのうえで寝たよ)。

小松左京も筒井康隆もブラッドベリもラヴクラフトも(親に隠れて川上宗薫も)読んでるけれど、まだ萩尾望都は知らない。そんな可愛いのか可愛くないのかわからん10歳のガキが、隣町の小さな本屋でふと週刊少女コミックを手にとったとき、母親べったりSF漬けのシアワセな頭にバチバチバチと火花が飛んだ。「このマンガは私のものだ」と私はおもった。お母さんにはあげない。読ませない。「この本買って」ともねだらない。お金ないけど自分で買う。毎週少女コミックを買う金はなかったので、私は単行本が出るまで地道に待ち、本の注文の仕方も知らなかったので、手に340円握りしめ、田舎の本屋(というより本売っているよろず屋)をいくつかハシゴして『スター・レッド』を買った。買ったうえで自分の部屋の引き出しに隠しておいた。誰にも触ってもらいたくなかったからである。そこまでひとつの物語を愛せたのは幸福な体験だったとおもう。SF好きな私の母は、そんなに少女マンガを好まなかった。今もあんまり好きではないらしい。というか、読み方がよくわからないらしい。時間がかかると言う。それで、結局のところ、私の母はまだ『スター・レッド』を読んでいない。もう読んでくれてもいいんだけど、ね。私ももう大人だし。

私に「母からの逃亡」をはじめて意識させた『スター・レッド』は、「母への憧憬」の物語としてはじまる。いま考えると、ずいぶん皮肉なことにも思われる。

これじゃ自分のことしか書いてないのでまだ続く。



散文(批評随筆小説等) 萩尾望都私論その5 私の赤い星1「母からの逃亡」 Copyright 佐々宝砂 2004-12-07 16:58:00
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