一輪の桜の花が咲いた日に
N.K.

住む街を一つの花に譬えた詩を知っている
それほどに花は愛されて
ましてや桜の花が咲き始めたと聞くならば
それは国の象徴(しるし)だとさえ言われている
ところから
その花弁は舞い風に乗る
淡い色の喜びを振り撒きながら
花弁は
表裏入れ替わりながら
済州(チェジュ)ではボッコッ(桜)
とその喜びは呼ばれ
ワシントンD.C.のポトマック河畔では
Yoshino cherryが親善大使と化す
その淡いピンクの健康さは
木の下に犬の死体が埋まっていると
まで感嘆される
この国の南から北へ
春の生々しい残酷さを伝えるほどに
桜の花は美しい
済州のボッコッは
固有種として
凛として美しい
米国偉人の正直さを証して
桜木は道徳的に美しくもなり
遠く旅した桜の花弁は舞い落ちる
舞う花弁の彩りのままに
舞い落ちる瞬間に花弁が
それぞれの世界を引き連れて
花弁はすなわち世界の一部を担って
そうして世界は一輪の桜花である
そこから新たに幾重にも
至る所へ向って花弁が舞う
そうやって舞うのだが
*一片の花びらであるからには
おれのもの
一片の花びらであるからには
おまえのもの


自由詩 一輪の桜の花が咲いた日に Copyright N.K. 2012-03-21 21:17:08
notebook Home