湖
根岸 薫
ゆるいカーブが続いている
道はある 車の下
色はない
いろは なんのいろもない 四十分間だ
見ている 鳥 これは川だが
名前は黒川
橋をわたる
家にはいつも居ないのだ、が
そう遠くなく在る
夜においては心を別の場所へ置いている有様
で
何の
安らぎ
?
やすらぎとはなんですか 他に
安らぎの場だよ
苦しいわ
苦しいの ねえ
【記録】
甲「私にだけ見える鳥があるのです。それはいつも夕暮れに散歩している時に限って見えるのです。他に誰もいない時、私の目の届く範囲にひとが誰もいない時、その鳥が現れるのです。白く、大きい。昨日もそうでした。車や人のある時は、姿を現しません。…ついひと月ほど前からなんです」
乙「成る程。では他にその鳥を見たことがある人はいないのですか」
甲「…はい。なにしろ私が見ているとき、辺りには誰もいませんから」「鷺でもないし…不思議な鳥です」
乙「いえ、そうではなくてですね、その鳥を見たことがあるという人が、誰か他にいませんか?」
甲「…それは…はい、いないと思います」(髪の毛を抜く動作)
乙「そうですか。よくわかりました」
甲「先生、だから私は自分がおかしいのではないかと思うのです」(落ち着かない様子、鞄から小さな茶濾しを取り出して膝に置く)
乙「大丈夫ですよ。…では次に、一昨日の午後は何をしていましたか?」
甲「一昨日は…出かけていました。母と食事に行ったんです。とても遠い所で、何度も道に迷いながらどうにか着きました。でもそこは写真と違って、ひどく汚い店だったんです。それで私たちはがっかりしてしまったのですが、他に仕様もなく、そこで食事をして帰ったんです。帰り道もずいぶん迷いました。橋を何度も渡って…ああそうそう、最後の橋で白い大きな鳥を見たのを覚えています。母は『ありゃ鶴だら』なんて言っていましたが、私は違うと思います。鶴ではないですよ。それに後から知ったのですが、実はその店はうちの親戚の店だったそうで、はい、ですから…ええと、又いとこ、あれです、ハトコです、それで他に仕様もなかったんです」
乙「では、あなたのお母さんが見たというのはその、例の白い鳥なのですか」
甲「はい」
乙「それなら、あなただけに見えているというのは間違いではありませんか?」
甲「はい…道も、何度も間違えてしまうんです…うう」(泣き出す)
乙「泣いてはいけません。しかしそれなら、」
甲「はい…」
乙「あなたのお母さんを刺したのは、あなたですか?」
甲「…はい 車を壊したのも私です…」(指の爪を噛む)
乙「よくわかりましたよ。ではまた水曜に来てください。」
帰っていく。
丙(受付係)「次、設楽さんどうぞ」…
―以上(省略なし)は十二月八日に行われた診察の模様を記録したものである。患者:島田孝之(三十七歳)について、研究対象とする理由は前章で述べたとおりであるが、通常の論理的な一貫性が著しく欠如しており、また同封のビデオテープにも診察の
(以下、判読不明。資料Dより抜粋)
会いたいとねがった
いちがつの その日
昼はなかった
あさとよるだけが
わたしたちをむかえた
休日になった
―を無視しているようにも取れるが、この方法は全く新しいものである。学問としての「心理学」を考えるとき、岡崎教授の「相克・線画療法」こそが、人間の心の中までを領域とするこの分野の、革新的なコミュニケーション手段であると言っても決して過
(以下、判読不明。資料Fより)
わたしは
鳥だったの
縛られていても
それでも自由だった
美しいことばと
くみあわせの
でこぼこに
わたしはふるえた
いつも
―の観点から言っても、■■は人間の感覚の根源には常に存在するものであり、これを人為的に「揺さぶる」行為とみなす事もできる「相克・線画療法」は、ある意味危険な治療法と言わざるを得ない。しかしながら、■■を科学的に追究する事こそが、人類が誕生して以来続いてきた■■の謎に光を当てる唯一の手段であると解することも出来よう。中間的、段階的な結果として岡崎教授は、■■が見せる闇の入り口を指したに過ぎない。
第四章〜第五章の中で、論文の抜粋を、
まなざし
―紹介している。学問としての医学を離れることで、各人の持つ「医」の概念を露わにし、求められている答えを導くための出発点にしてほしい。それこそが医師の原点である。学生諸君には、このことを踏まえた上で是非、現代以降の医学の礎を築いて頂きたいと願ってやまない。
もう鳥ではない
あなたとともに立つ
湖の端