Your sentence
Debby

雨降りのこと

 君はきっと、雨降りだと気分良く過ごせる人だ。昼近くなって目を覚ました君は、雨どいから垂れ落ちる雨の音に安堵する。一日をやり過ごすことには常に理由が求められている、君は眠る前に何度もそいつをひねり出そうとするが、人生の大方がそうであるように全ては無駄に終わる。君の机はまるで未決済書類の集積所みたいだ。全てのものが然るべき場所に印を打たれて、そして誰かに手渡されることを求めていた。君だってそれはわかっていた、なのに雨は降り続ける。窓から光が消え、暖かさが去る。目を閉じたときに見えたあの光が、君の頭の中で何度か瞬く。それでも、何もかもが水浸しだ。君は雨の中、アスファルトに散らばった書類の前で頭を抱えている。そして雨は降り続ける、一日が過ぎていく。


カメよ眠れ

ミシシッピ・アカミミガメを死なせてしまったことがある君は、今ではそれなりに命を大事にするべきだという考えを持っている。プラ・ケースの水槽で白かびだらけになったカメのことを思い出すときのあの、ほんの僅か胸に訪れる軋みが、夕暮れの部屋を揺らしている。君は、ずっと昔こんな風だった。悲しいことがあれば大きな声で泣き、楽しいことがあれば底抜けに笑った。誰もがそうであるように、君もきっとそうだった。世界は君のことが好きだったし、君の方も世界に対してそんなに悪い感情を抱いているわけではなかった。車が走り抜けていく音、家路を急ぐ人の足跡、窓を開いて空気を換えようかな、と君は考える。でも、それはきっと明日でいい。明日は良く晴れた日になるはずだし、布団だって干せる。カメよ眠りたまえ、と胸のうちで唱える。君のために夜がやってくる。そして、誰もいない教室の片隅、真っ暗になった棚の上でカメは今日も静かに眠っている。君のためにあらざる世界の片隅で、カメはまだ眠っている。


ジョン・スミス氏

君はふと目をとめた訃報欄で、ジョン・スミスが死んだことを知った。イギリス生まれの日本育ち。享年52歳、心不全だった。君はこの世界で昨日、ジョン・スミス氏が死んだことについて考えてみなければいけないだろう。マレーグマはなつめやしを食み、コビトカバはキャベツを丸齧りにした。マクドナルドの店頭では際限ない数のチーズ・バーガーが挟まれ、ギリシャではデモ隊が路肩に座り込む、そしてそれなりの数の人々が夜半に愛を確認しあってもいた。その世界で、昨日ジョン・スミス氏が死んだ。日本の片隅で、都会の真ん中よりは少し外れた町で、ジョン・スミス氏の心臓が最後の一縮みをしたその瞬間について。さようなら、ジョン。君は声に出してみる。さようなら、ジョン。別れは突然で、そしてその後に何も残していかなかった。それはとても良いことだろう、君はそう考えている。その日は久しぶりに八時間、何も考えず眠った。恐ろしく深い眠りだった。どこか遠い場所で風が吹き抜けていく音がしていた。どこへ?どこかへ。


スーパー・カブに乗って

君はもう数年前から、ホンダのスーパー・カブを購入したいと思っている。だから、もうじき全てのスーパーカブが外国産、例えばタイだとか中国だとかで作られることになると聞いて、なんだか少し暗い気分になった。もちろん、中国人やタイ人だって日本人に負けず劣らず手先は器用なのだろうし、日本のメーカーが作るのだから品質だってそれなりのものになるだろうと思う。もしかしたら、値段だって下がるかもしれない。それでも、君はなにかがそこでぷつんと切れてしまったような気がしていた。でも、それが一体なんなのかがは君には全く分からない。ただ、巨大な大陸の小さな路地を無数のスーパーカブが駆け抜けていく音だけが響いていた。それは、ずっと遠くから聞こえてくる音なので、まるで蜂の羽音のようだ。次に来る波はでかい、いつもそうだ。これまでもこれからも、いつまでもどこまでも。


十五センチ定規と

水槽に水苔がずいぶんついてしまった。真緑色になった緑色の立方体を眺めているのにも飽きた君は、ガラスの面を十五センチ定規でこすりとる。緑色のちぎれた苔が水中に舞う。めだかやたなご、それに小さなえびたちが千切れ舞う苔を齧る。この作業をしているとき、君はいつも何かを思い出しそうになる。それは、22度の水温のせいか、それともかるき抜きの働きなのか、あるいは大磯砂の小気味いい感触のせいなのか、全然わからない。でも、君は何かを思い出そうとしている。気がつけば雨はやんでいて、晴れ間が除いている昼下がりのことだ。君たちにうってつけの言葉が散り散りになって、どこかへ消えていこうとしている。君は今すぐそのむなびれと尾びれを一杯に使って、これをかき集めなければいけない。君に両方の腕はないとしても、その口は残る。いつも何かを失ったと君は嘆いているかもしれない。でも、やらなければならないことはある。君は魚たちのことが好きだ、愛しているなんていう程では全く無いんだけれど、そういうのって、わるくないよな。


ほうれん草のために祈りを

君は冷蔵庫の中にしまったほうれん草を、今日でもう五日も放りっぱなしだ。三段棚の一番下、野菜庫の中でれんこんの下敷きになって、ほうれん草は少しずつ茶色くとろけている。君はもちろん思い出すことだろう、その時には食べられる場所、美しい緑色は半分以下になっている。君はキッチンで小さな包丁を片手に、ほうれん草の食べられる場所をより分ける。根っこの赤い部分も綺麗に土を洗い落として食べようと思う。シンクを詰まらせると面倒なので、君はより分けた部分を三角コーナーに投げ込むことだろう。そして、明日が燃えるゴミの火であったことを思い出す。食べ残したアジの骨がいやな匂いをさせているのだから、これは忘れてはいけないことだ。君は思う、そしてまたほうれん草をより分ける。鍋一杯に沸かした湯に塩を一つまみいれる。世界は暗黙のうちに祈りそのものだ、君はほうれん草のために祈るかもしれない。ほうれん草は君のためには多分祈らないだろう。それでも、世界は暗黙のうちに祈りだった。


異邦人

いいかい、君に伝えられることもこれが最後だ。君はきっと、こんな長い文章を最後まで読んだんだから、それなりに何かを期待しているんじゃないかと思う。劇的なユリイカとか、美しいイメージだとか、あるいはある種の種明かしだとか。でも、世界はそういう風に出来ていない。君もとっくに分かっているとおり、理由なんか特にないんだ。ムシャクシャした、と言ってみてもいい、あるいは太陽が眩しかったから、なんて嘯いてみたりしてもいいだろう。でも、君が分かっているとおり理由は特に無いんだ。君はこの世界と何かがうまくかみ合わないと思っている、君のための祈りが、君のために書かれた全ての書類がシュレッダーに投げ込まれて切り裂かれているような気さえしている。


追伸 カメのエサは控えめに

僕はそういう違和感をずっと抱えて生きて来た。26年、そんなに長くはないけれど決して短くも無い歳月だ。まるで、靴の左右を間違えたような気持ちがずっとしていたものだ。でも、それもいつしかどこかへ消えてしまった。音も立てず静かに、まるで野戦砦が廃墟になっていくみたいに、いつの間にかみんなどこかへ消えてしまった。雨が降って風が吹き、人々が行きかう路地に突っ立っているうちに、僕はどこかへ消えてしまったような気がしたものだ。まるで僕が消えて僕の台座だけがそこに残ったみたいだった。でも、それもまたいつかどこかへ消えてしまった。言葉が消えて韻が残る、さようならの韻をずっと踏み続けてきたみたいなものだ。アリョーシャラ、ワヒョーアカ。そういう風にして、たくさんの祈りが生まれた。消えていく言葉は全て暗黙のうちに祈りだった。そこには何の意味もなかった。それでも、それらは皆祈りの形そのものだった。君のためにたくさんの言葉が費やされるだろう、また君自身もこれからずっとたくさんの言葉を費やして生きていくだろう。昔、誰かがこんなことを言っていた。

「人は死ぬ、仔牛のために書く」

この言葉は正しくない、また正しくあってはいけない。君はそう考えて欲しい。君の言葉はどこかへ消えていくだろう、音も立てず消息も知らせず、小学生の頃のあの懐かしいともだちみたいにどこかへ消えてしまうだろう。だけど、君はいつかどこかでそれを思い出す。それが祈りの形だ。人は死ぬかもしれない、それでも君は仔牛のために書いたりしては、いけない。


自由詩 Your sentence Copyright Debby 2012-01-27 02:49:38
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