ピュグマリオン
佐々宝砂

1.

青みはじめた空気のなかに
屋上がある

どごおんどごおん と
風が啼いていた
それは歌でも言葉でもなかったけど
確かに何かがわたしを呼んでいた

太股にナイフをあてる
出血はなく
皮膚の裂け目から内部が覗く
青光りする金属とプラスティックと
シリコンと半導体とチップと
ほんのわずか油脂の臭い

これが
わたしだ

あたりは夜に沈んでゆく
赤外線も紫外線もなんならX線も
見ようとすれば見えるのだけど
目を慣らさぬまま
無闇にナイフを突き刺す
胴体部分が損傷して
わたしはまっすぐ立てなくなる

ひとり遊びは
もうやめる

夢見られていたと信じたのは
つかのまの錯覚
あのひとが夢見ていたのは
わたしのなかのあのひと

まだまともに動く両腕で
身体を支えて
柵から身を乗り出す
強風が騒いでいる
悩むことはない
簡単なことだ
わたしは金属を捨てる
プラスティックを捨てる
シリコンを捨てる
現世のわたしを構成するすべてを捨てる

わたしを呼ぶあの声は
あの常に聞こえる低い呼び声は
わたしを上へと誘う

けれど
わたしは
ひとりでは行かない

あのひとと行く

ひとり遊びは
もうやめると誓ったのだ


2.

朝焼けの光を浴びて
他人の服を着る気分で
ぴらぴらきらきらふりふりの
女物の真新しい服を着て
肘まである手袋をして
サングラスをかけて
街まで出かけて
大ぶりのナイフを買った

昨日の朝
空からまっすぐおりてきた
無数の槍が
牢獄となって
とりかこんだので
やむをえずわたしは
ストーンベビーを産み
血が染みついたシーツのうえに
殻の断片をいくつも排泄した

それは彩色され
モザイク画の材料となっている

暗黒を無理に輝かせようとしたあなた
原始の絶叫を甦らせようとしたあなた
あなたは南国の不埒な極彩色の鳥
空を泳いでゆく肉食の魚

スイス製のナイフは
私の手のなかにあって

耳鳴りに紛れて
まだ
命令が聞こえて

絵描きを殺せ!

黄色い膿汁が
腫瘍の目立つわたしの腕から垂れ
腫瘍は濃紫に腫れ上がり
膿汁はしずく垂れしずく垂れ
ぜいぜいと不規則に
心臓は波打ち

絵描きは
まだ
生きていて
生きていてほしくて

わたしは
上目遣いで
キャンバスを眺め
命令に逆らい
描かれた女を切り裂く

わたし自身の血が
わたしを汚してゆく


3.

生きている!と彼女は叫んだ、
けれど声は出なかった。

クリスマス・ツリーに飾られた電飾のような、
いろとりどりの光が見えた、
遠いところでたくさんの人が合唱しているような、
はっきりしない歌声が聞こえた、
石と羽根をつめた布団にくるまっているような、
複雑な感触が肌に感じられた、
味と臭いは特に感じられなかった。
魂に似た何かが彼女の奥に蠢き、
欠損の痛みを訴えた。

彼女は状況を把握していない。
彼女は知らない。
自分に何ができて、何ができないかを。
彼女は接続されていない。

彼女は灰色の漿液のなかにゆれている。

彼は状況を把握している。
彼は知っている。
自分に何ができて、何ができないかを。
彼は優秀な技師だ。

気軽げに鼻唄をうたいながら、
彼は脚を用意する、
腕を用意する、
自分好みの乳房も、
大きな瞳もくっきりした鼻梁も用意する、
くちづけのための愛らしい唇も用意する、
声も用意する、
彼女の容貌に似つかわしい、
耳に優しいクリスタル・ボイスを。

それだけあれば完璧だ、
と、
彼は思っているが、

灰色の漿液のなかでは、
むくむくと欠損が育ってゆく。


自由詩 ピュグマリオン Copyright 佐々宝砂 2004-11-28 21:20:29
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