カモノハシのパンセ 震災編
佐々宝砂

2011年03月13日(日)
「どこそこに勤めてる誰それからの情報ですが」っていうツイートをRTするのはやめとこうや…

2011年03月14日(月)
一日おにぎり1個あればしばらくは餓死しないよとおもう私は冷たいのだろう。

2011年03月15日(火)
善意のRTはそれがデマっぽくとも繰り返しでも古くても我慢してきたが、○○町○○区の話はなんかこう我慢ならん気持ち悪さがある。「被曝してないから受け入れてくれ」というのは考えてみればひどい話だ。被曝した人はどこにゆけというのか。

津波から奇跡的に助かった赤ちゃんが避難所で泣きわめいて家族が身も細る思いをする、というのを想像する程度にわたしのあたまはわるいです。

いま目的はひとつだろうか。違うとおもう。目的はちっちゃな目前のことだ。おなかすいてる人にはとりあえずごはんを。寒い人にはともかく毛布を。風邪ひいた人には薬を。不安な人には安心を。苦しんでいる人それぞれの苦しみにそれぞれの必要なものを。それぞれはちいさい。あわさればおおきい。

被爆を避ける方法って聞くと必ず「風が吹くとき」を思い出してしまう。政府のいうとおり予防策をとるけどむなしく死んでくの。でもそれでも何かを信じて予防策をとるほうが、ただただ不安なままより幸せ。

私は共感するのもされるのも不得意で、それで困ることもあるが、こういう事態のとき遠隔地にいると共感できないくらいでちょうどいいかもしれない。遠隔地からの多大な共感は今は不要。必要なのは金とプロフェッショナル。

2011年03月18日(金)
日本はいまいつもよりちょっとリスクが高いんだよ。リスクが高いから生きることが死と隣り合わせだって気付いてしまった。地震前だっていつも死と隣り合わせでいたのにそれを忘れていただけ。死だけじゃなくて犯罪にあうリスクだって放射性物質を浴びるリスクだって。前からあったんだ。

2011年03月20日(日)
こんなとき感動を誘う文章を書こうとする自分に嫌気がさす。私は怪奇詩人なので感動なぞ誘ってはいけないのである。恐怖を誘うのがおしごとだ。

2011年03月21日(月)
私は涙を流さないタイプなのでこういうときは役立つのではないかと思いますが、それは事実誤認です。

2011年03月23日(水)
悪いことをしたひとは悪い目にあうというのはうそです。よいことをしたひとは悪い目にあわないというのもうそです。どっちも論理的ではありません(棒読みに近い読み方で、自分に向かって)

詩人て役に立たないなあと思ったが詩人が役立つ世の中なんて自衛隊が役立つ世の中より悪い。

うまく言えないけど「悪いことしてないのにこんな目にあうのはあんまりだ」というのは、心情的にはわかるが、理屈にはあわない気がする。

2011年03月24日(木)
泣ける人が多いようでうらやましい。私はやっぱりどこかおかしいのかもしれないがそれが役立つときもないではないから生き延びよう。個々の多様性は全体を生き延びさせる。

2011年03月25日(金)
そうか詩というものは放射線とおなじだったのか。「ただちに影響を与えるものではない」

だまされたひとを責めてもいいことはないし、わたしだってだまされる。と自戒。なんでこんなに自戒ばっかせなあかんねん。

2011年03月26日(土)
テレビを見ていて思うのは、東電だって明日のことはわかっておらんだろうということ。

原発関連の話は正直よくわからない。いま静岡にいるあいだはそう気にしなくていいんだってことはわかる。ただ明日はわからん、ということもまあ、わかる。

2011年03月27日(日)
私の実家のある町は、ちいさな町で、自転車で15分くらいいくと海があって。私の実家は茶畑だらけの低い山がちょこちょこあるようなところで。春祭の日には桜が咲いてタケノコがとれて気の早いキイチゴの花が咲く。浜岡原発から10km圏内。ちいさないなかのまち。

ともあれ和合亮一の名は311の震災とともに記憶される。詩の世界では。それは決まった。

なんだか考えがまとまらない。というか考え始めてさえいないかもしれない。

2011年03月28日(月)
列を離れてありんこをつついてるようなヤツが、 どういうわけかそれが理由で生き延びるかもしれません。

2011年03月29日(火)
日本がひとつの集団になっているとは思いたくない。いっせいに咲く花はいっせいに散る。わたしはちょっとズレていたい。

いろいろ考えたあげく、「やはり黙っていてはダメだ」という結論に達する。間違うのは確実なのだけれど。間違ったら都度訂正してゆくしかない。そういう面倒くさいことの先にしか未来はない。

2011年03月31日(木)
東海地震がくるときは、訓練していれば地震がきても安心、静岡県民は訓練されている、準備している、そういう神話が崩れるときだと思う。


散文(批評随筆小説等) カモノハシのパンセ 震災編 Copyright 佐々宝砂 2011-11-12 10:38:51
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