ぼくは電話で話したかった
天野茂典
声をかけるというのが
悪いことではないことを
あなたはぼくに教えてくれた
ぼくは人によく声をかけるのだ
話し相手とすこしでも親しくなりたくて
内心いやがられるのではないかとおそれながら
好意を持ってはなしかける ムードメーカーだと
いってくれた人もいる ぼくはぜんぜんそんな気で
話しかけているのではないが 結果的にはそうなるのかも
知れない ふだんのぼくはカジュアルでラフなのだが
こと詩人の世界に入ると人が変わるのだ 自分でも
信じられないくらい厳格主義者になってしまうのだ
妥協がない お愛想がない 知らんふりだ
それでよしとしているわけではないが なかなか人の作品を
認めようとしない 許容範囲が極めて狭くなるのだ
自分の作品をたなにあげて あげあしとりになってしまうのだ
主義主張もあまりききいれない フレシキフルではまるで
ないのだ 単なるひとりの頑固じいさんになってしまうのだ
たとえば詩壇というものがいまでもあるとするならば ぼくは
だれともつきあっていないのだ
若い頃は詩壇からあんなにちやほやされたのに 仲間の詩人も
大勢いたのにぼくはぼくから手を振っておさらばしたのだ
いまでは同人誌も詩集も贈られてこない ぼくが返事を書かない
からだ 70年代あんなに活躍した詩人もいまは孤高だ
友達もなく 仲間もいない こうしてパソコンやってるだけだ
ここではすこしなじみができた うれしいことだ
声をかけてもらったりしている おたがい顔は見えないけれど
なんかこう伝わってくるものはある 思わない収穫だった
かんしゃしてあまりある
ぼくはあまり私信をださない 受けるほうが多いだろう
書いてるばかりであまりひとの作品を読んでる暇がないのもひとつだ
それから嫉妬心やめんどくさがり屋の一面もある
できればもっと大勢の人に私信をだしたい
いろんな人と友達になりたい
そのためにはぼくも少し心がけをかえなければならないだろう
自己中心的なものはいつの時代も嫌われる
いまの孤独地獄から這い出すためにも
ぼくはひとつの決心をしいられるだろう
そうだもっと声をかけることなのだ
そんなお世話は迷惑だ
思われるかもしれないがぼくはそうする
これはいまぼくがリハビリで通っているデイケアで
習ったことだ 天野さんの斬新な発想やご意見のお陰で
デイケアが生き生きとなっていると思います
誕生祝の寄せ書きに書かれたスタッフの主任の言葉だ
自慢かもしれない それはそれでいい
声をかけるということが
けして迷惑ばかりじゃないことを知ったいま
ぼくは忍野八海の湧水
のように澄んでたえることなく
湧き出していよう
2004・11・21
自由詩
ぼくは電話で話したかった
Copyright
天野茂典
2004-11-21 21:22:51
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