十月の童話
salco

 夜の図書館

しじまに俯く図書館の内省では
神田川の源流もナイルであります
不心得者の高校生が夕方
不品行に忍び笑いを殺していた
地下の障害者用トイレも森閑と
そばかすだらけの司書の死は
とうに基礎に沁み込んでいて
今夜も思いだけが立ち上ります

マルファンの美しい四肢を持ち
心臓に障りもあった赤毛の少女は
皆と走れず本を友とし
平たい胸に幾万の言葉を蔵していながら
揶揄を恐れて小声でしか話さぬ
やや猫背で猫っ毛の女になり
静かな静かな眠たい場所で
静かに静かに生きていられる
そんな仕事に就きました

目を会わせたがらぬ
目立たぬ女はそれでも伏し目に
うららの午睡めいた佇まいがあり
あの冬の臨時休館日
図書整理を終えて裏門を出しな
後ろから口を塞がれて
横手の建設現場へ連れ込まれたのです
後を出て来た同僚達はさざめきながら
誰一人
いつも独りで帰る女が先に見えぬのを
気にも留めませんでした
いつも独りを好む女が出て来ないのを
気に留めもしただけで

広告と請求書が詰まったドアを
不動産屋が開くと郷里のふた親は
整然とした日常の放置に今こそ世界が
真っ黒な雲で塞がれたのを知りました
捜索願に捜査機関が動いた時には
青葉を背に紅い鉄骨がそびえ立ち
同僚達は聴取に首を傾げるばかり
田舎にでも帰ったのだと決めて来て
本当に憶えていないのでした
盆が過ぎ暮れになっても音沙汰はなく
親も知らぬ落命の日には
目にもすがしい新館が落成間近でした
もう何年も何年も前のこと

そばかすだらけの猫っ毛の司書は
殴打の痣も首絞め痕もなく
強姦の恐怖も屈辱もなく
胸に蔵した幾千の物語から物語へ旅しつつ
同じく眠れる幾万の本を蔵する書架の間を
細長い脚で行きつ戻りつ
世にも繊細な手で背表紙に触れ
ありもしない幸と
ありもしない時を漂い
いもしない自分について気付きもしません
だんまりの本らが蔵すは時の滴
神田川の源流もナイルであります


自由詩 十月の童話 Copyright salco 2011-10-04 22:44:13
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