中島みゆきが思い出せない
blue

車のライトに浮かび上がったふたつの影は、やはりどこか
不釣合いだった。
男のジャンバーの下からはスウェットがのぞき、女は短い
スカートに、つんのめりそうなハイヒールを履いていた。

ヨシダさんが煙草を買う間に、その二人は3回抱き合って
2回キスをした。
白いベンツが二人の近くにすっと停まるのと、女が男から
体を離すのはほぼ同時だった。
女だけが車に乗り込み、残った男は何事もなかったように
暗闇へ消えていった。

 ― 商売女だな ― 
と ヨシダさんが珍しく下品に言った。
 ― じゃあ 今のベンツは女衒? ― 
と 聞くとヨシダさんは
 ― 難しい言葉を知っているんだね ― 
と いつもの口調で言った。
 ― ヨシダさんが嫌いな中島みゆきの歌にあるんだよ―
と 今度は私が少し乱暴に言った。

ヨシダさんが煙草に火をつけようとしているけど、
風が強くてなかなかつかない。
私が左手をかざして、ようやく小さな火が
煙草の先に浮かんだ。
そのとき初めて、今日はヨシダさんが
結婚指輪をしていないことに気づいた。

交差点でさっきのベンツが信号待ちをしていた。
後部座席の窓が半分ほど開いていて、そこから女が見えた。
女が空を見上げていたので、私もつられて空を見た。
恐ろしく大きな月が浮かんでいた。
女の顔は月と同じくらい白かった。

ヨシダさんと歩きながら私は
柱の後ろに隠れ、それでも小さな声で 
 ありがとうございました と言った年老いた女と、
黙っておつりを差し出したフロントの皺だらけの手の
女のことを考えていた。

歩道橋の下で、OL風の若い女の子が
青白い顔で苦しそうに口元を押さえていた。
介抱する方もされる方もよく似た髪形で、
よく似た服装だった。
彼女たちの足元の週刊誌はパラパラと風にめくられ、
ようやく静かになったページには、
まだ幼さの残る水着姿の少女が長い脚を組む。

どれもこれも、みんな女だった。
女は強いのかもしれないと勘違いしそうだった。

ヨシダさんは改札の上の電光掲示板にさっと目をやり、
先発は9番ホームだから間違えちゃだめだよ と
いつものように優しく教えてくれた。

階段を降りながら あの中島みゆきの歌はなんだっけ と
しばらく考えたけど、結局思い出せなかった。

 『もう電車に乗った?』

とヨシダさんからメールがきた。
返信するのが面倒くさくて、私は初めてヨシダさんからの
メールを無視してケータイの電源を切った。
これでもう安心だと思った。

ヨシダさんにもらったシュークリームを持って、
不機嫌そうな私が電車の窓ガラスにうつっていた。
私は次の駅で「その他のゴミ」と書かれた銀色のゴミ箱に
それを紙袋ごと捨てた。

少しだけ強くなった気がした。
少しだけ泣いてもいいような気がした。


自由詩 中島みゆきが思い出せない Copyright blue 2011-09-19 21:40:15
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