自分のためだけの、非常に個人的な理由による詩批評
KETIPA

しばらく見ない間に詩のレビューやらが減ってる気がしますが気のせいかな。

たぶん他所でやってるんだろうと思うことにしよう。

まあそれはそれとして、なんか急に現代詩読んでみようかねーという脈絡の無い感情がふっと湧いたので、消える前になんか書いておく。

なぜ読むか、そしてわざわざ批評するか、今回は別に誰かに詩の良さを伝えたいからでも批評欲を満たしたいからでもなく、単におれが詩をどう批評するかによって、自分が詩をどう読んでいるかを確認するため。
本当にそれだけの理由しか無い。だから下の批評(レビューかも)は完全に個人的な覚書みたいなもんなので、別におれの思考回路とかに興味ないなら読まなくてもいいです。

どれ読むかはランダム表示で決めた。


霜天「染色」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=188610

非常に端正な詩ですね、A4用紙みたいです。
見た目の印象を侮ってはいけません、視覚的、図形的な要素は詩全体の印象を決定してしまいます。あと文字の密度。平仮名と漢字が半々くらいで、間抜けでも硬質でもない、優等生のにおいがします。


すっかりと丸くなった母の背中を押し込んで
いく、とバネのように弾んで台所へと消えて
しまった。庭の隅で父は、苗木のままの紫陽
花を随分と長い時間見つめている。


リズムが悪いです。あまり音読向きではないですね。2文目など非常にわかりやすい出だしですが、そのせいで急にふっと安直な世界に引き戻されて少し残念。


                時計の針
はここ数日で速くなった、寂しさの単位を少
しずつ切り替えながら、前、に進もうとして
いる。


ここはあまりよくわかりません。魅力が。もったいぶってどや顔をされているような感覚。「、前、」が何の効果ももたらしてないような気がしてしょうがないです。


   染められるだけだった私たちの庭は、
いつからか草原の一部のようになり、塗り分
ける絵筆の先端の痛みばかりを気にしていて
は、もう追いつけない、私の位置だ。草原に
丸くなった猫の背中を探して、私たちは遠い
ところまで来てしまった。いなくなる人たち
を数えるのはやめて、繋がれる人たちにリボ
ンをつけ始めたのはいつ頃だろうか。


読み進めて行って主題が浮かび上がってくると、それがあくまで私からの半径何メートルかの中なのだろうか、いやそこから飛ぼうとはしている、けどやはり飛び切れていない。世界観が想定内のところにとどまってしまっているように感じられるのがやはり残念。ひねてみようとしてるのもわかってしまって、ひねきれてない。

頭の中なのですやはり。自己完結している。それがおしい。「草原に丸くなった猫の背中を探して、私たちは遠いところまで来てしまった。」この辺が音的にもなかなか美しい。ただ次の「いなくなる・・・」はあまりいただけない。ドヤ感が。


                 遠くで
私を呼ぶ声がする、御飯がどうのと言ってい
る。夕暮れる町を抜けて、あの庭を掻き分け
ると、昨日染めたばかりの布が、千切れて飛
んでいくのが見えた。誰を縛ろうとしていた
のか、固まった左手を見ても、思い浮かばな
い。寂しさの単位が、切り替わる音がした。


失速したと思います。残念です。言葉が迫ってこない。(目指す所が違うでしょうので当たり前かもしれませんが)音列の持つ力が生かされずに、情景の説明となっているので、これでは小説を読むように咀嚼するしか無い。最終文でせっかく音を題材に扱っているなら、「寂しさの単位が、切り替わる音」を、そのまま説明せずに文字の隙間からしみ出させて欲しい。表現したかった世界観を表すのに必要十分な文字しかないので、「えっ?」という感覚が起きない。説明しきれない非常に直感的な、電気信号のような刺激が生じていない。

だから全体として非常に基本的で、枠を外そうとするその方法も平均的な、優等生的な詩と感じます。とりあえず音の感覚がどうもおれと違う方のようですので(というかたぶんそこまで音に重点をおいてない)、まあ当然といえば当然の感想です。


もちろん霜天さんのこの詩を、おれ以外の他の人が読めば、違うところに注目するはずだと思うので、全然違った評価になると思います。あくまでおれの重視することに則って解釈したまでですので、別に霜天さんのこの詩の出来がどうとか、そんなことを言いたかったわけではみじんもないです。いや正直、ランダムで選んだ割にはいいのが出てきたと思ってますよ。投げ出したくなるようなのがでなくてよかった。


とりあえずこの詩の批評を書いてみて気づいた点

・おれは音の流れ、断絶姓、リズム感を非常に重視する。
・図形的な、視覚的効果も直感的なものとして重視している。
・おれはそれぞれの表現されたものについて、またそれらのものがたりのつながりについて、関心をさほど持っていない。
・そもそも一文読んだあとに次の文を読むと、もう前の文のことをほぼ忘れている。
・想像できる風景にはあまり興味がない。
・文字の間から染み出してくる何とも言えない説明しきれないもやもやとしたものに触れたい。
・そのもやもやとしたものは音もしくは文字の間、あるいはその全体から出てくる。
・主題が私の周りのものだと読むのをやめそうになる。
・そもそも気を付けないとばんばん言葉を読み捨てている。
・全体の雰囲気を捉えるのが極めて苦手。
・部分的な言葉の羅列から高揚できればそれでいいと思っている節がある。
・タイトルと本文の関係性にはそれほど注意を払っていない。

まあ大体こんなもんですか。薄々わかってたこともありますね。


最後に、こんなおれの個人的な思考回路あぶり出しのためだけに詩を切り刻んでしまったことを、作者の霜天さんにお詫び致します。


散文(批評随筆小説等) 自分のためだけの、非常に個人的な理由による詩批評 Copyright KETIPA 2011-08-14 02:03:46
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