2277-01
雨伽シオン

輸血パックに詰めた精液を啜りながら、きみは万年筆を走らせている。唇からこぼれた白が青いインクで刻まれた文字列に滲んで、たちまち海となった。そこから生まれた少女は桃色のゼリーに包まれていて、透けて見える体は胎児のように丸まっていた。彼女が蠕動するたびに粘液が紙に染みこんで、甘ったるい香りを放つ。少女はきみの初恋の女であり、きみを遺して死んだ女だった。きみにとって最も美しく、最も愛しいただ一人の女だった。きみはペーパーナイフを握り、女の子のスカートをめくるようにゼリーを切り裂きはじめた。
きみに浴びせかけられた精液と無糖炭酸水によって喉を灼かれた私は、抑えがたい嫉心に駆られた。私はこの春、きみと出会った。花冷えの雨が降る夜だった。橋の上で制靴から足を抜きながら、なぜ自殺者は死ぬ前に靴を脱ぐのだろうと考えていた。そこにきみが通りすがったのだった。春は死にたくなる季節ですね。挨拶代わりにそう云った私をたしなめるでもなく、憐れむでもなく、きみはそうだねと微笑んでくれた。
それまで色褪せて朽ち果てていた私の世界は息を吹き返した。雨音が鼓膜を震わせ、街灯に照らし出された雫が銀色に輝き、濡れたアスファルトの湿っぽい匂いが鼻孔をついた。きみのいる世界で私は生きていたくなった。きみの心に私という存在を刻みつけられるなら、たとえ憎まれようとかまわなかった。私がきみの唯一になれないのなら、いっそきみが死ぬまで怨まれていたいとすら思った。
私はきみの大切な少女を殺してしまおうと決意した。ゼリーに半ば埋もれた白い首に両手をかけて絞め上げる。少女は目を大きく見開き、絶頂を迎えたように痙攣している。それがいっそう私の憎しみを掻き立てた。少女の頭をゼリーに沈めて窒息させようとするが、ゼリーは胎盤のように彼女と臍の緒でつながっていて、そこから酸素を補給しているらしい。少女の息を止めるにはどうすればいい。臍の緒を断て。臍の緒を断て。私を殺した女、私を産んだ女、私をいじめた女、私を慈しんだ女、私を裏切った女。彼女たちの哀しくて厭わしくて愛しくて憎たらしい声が私の脳髄を腐食させてゆく。少女を殺すにはどうすればいい。臍の緒を断て。臍の緒を断て。
私は少女の首から指を外して、ぐにゃぐにゃとした臍の緒に手を伸ばした。そこは少女の鼓動に合わせて脈動している。私がねじ切ろうとするより早く、ペーパーナイフの切っ先がそれに噛みついた。臍の緒はあっけなく切れ、養分と酸素が配合された粘液を吐き出した。これは僕のものだ。きみはそう云うや否や、桃色のゼリーを手ずから掴むと咀嚼しはじめた。透きとおった桃色の子宮はきみにちぎられてぼろぼろと欠けてゆく。少女の姿はなかった。代わりに血だまりのような赤がゼリーの中に浮かんでいた。イチゴ味だよ。きみは唇を濡らしてうれしそうに微笑んだ。美しい弧を描く口の周りにこびりついた、べとつく赤い液体のむせ返るような甘い香りに、私は吐き気を覚えた。
きみが犯されていく。少女によってきみが犯されていく。頭蓋に満ちていた女たちの声は嘲笑に変わっていた。私はきみが投げ捨てたペーパーナイフを手に取ると、自らの喉笛に突き立てた。断末魔にジャックされた私の口から吐瀉物がぼとぼととこぼれ落ち、女たちの笑声は最高潮に達して、目が眩むような恍惚感をもたらす。白く染め上げられた世界の終末で、きみはこの上もなくしあわせそうに微笑んでいた。


自由詩 2277-01 Copyright 雨伽シオン 2011-04-28 23:55:15
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