【批評祭参加作品】小笠原鳥類×小林銅蟲「ねぎ姉さん」
KETIPA

知ってる人は知っている、小林銅蟲「ねぎ姉さん」といWeb4コマ漫画がある。恐らく現代詩に親しんでいる人の中では、地味な知名度があるんじゃないかと思っている。というのも、かの小笠原鳥類さんと交流があるようで、鳥類さんのブログにもねぎ姉さんへのリンクが貼られていることを目にした人も少なくないだろう(と勝手に思ってる)。

そういうわけで、いちいち説明するまでもないかもしれないけど、一応知らない人のためにどんな4コマなのか説明しておくと、頭からネギを生やした姉さんと、そのまわりのもろもろの生物と無生物と概念が、知的でカオスな空間でグダグダしたり位相をぶっ飛んだりサイケデリったりシャーったり、はい。はいじゃないが。みたいな4コマです。何言ってんのかわかんないと思うので読んでもらったほうが早いです。はい。

「ねぎ姉さん」
http://negineesan.fc2web.com/

1話から1000話までをまとめた単行本も発売中。現在1100話を突破してなお増殖中。

といっても、最初によもうと思ってそんなに本数あったら困るわけで、玉石混交といえば混交なわけで、おすすめの話やおすすめの読み方を伝授しましょう。

で、いつ詩の批評すんの、というあなた、もう少々お待ち下さい。ちゃんと詩の批評になりますんで。鳥類さん出してきてるのも伏線なんですから(言うなよ)。

で、えーとおすすめ話数とか、挙げていくわけですが、ねぎ姉さんは前述のとおり小笠原鳥類さんにも親しまれており、気に入った話(?)には、鳥類さんがメールで詩を送っているそうです。というわけで、4コマ漫画と現代詩のコラボがごく自然な形で発生しているわけですね。ちなみに詩の方は別ページ(http://negineesan.fc2web.com/ogasawara.html)にまとまってます。最果さんがやってるような漫画家さんとのコラボレーションのように華々しくはないですが、脳髄からかき乱されて再構築されるような感覚になる2人のワールド。

というわけで、詩が付いているものについてはそれについても批評、詩がなければ漫画のみについて批評。ちがうな、レビュー、再構築、という試み。はい。(話数に*がついているのは鳥類さんの詩あり)

はいじゃないが。(これは16話に登場する)


「584話」http://negineesan.fc2web.com/negi584.jpg
作者自ら「どんな漫画家と聞かれたらまず出す」というこの話。皮肉が効いてて起承転結がしっかりしている珍しい作品。これを標準と思ってはいけません。バッチリ弱らせている人類なんてすくってもねえ。


「108話」http://negineesan.fc2web.com/negi108.jpg
バンドマンと胎盤する話(こういう語呂合わせは銅蟲さん本当にうまい)。
「みなさんどうぞ 死はありえない 死はありえない!!」
たっぷりの感謝を混沌にこめて、テレーン。魚に律儀な料理人兼バンドマン。元気でいられるのは健康で元気だからというトートロジーがリフレインする。詩はありえない!!
はいじゃないが。


「857話*」http://negineesan.fc2web.com/negi857.jpg
インテリ姉さん、ザザザザザーと樹木のような言葉を紡ぎ、ふと思い出した高柳重信の句をつぶやいてひとり。「ふねやきすてし せんちょうは およぐかな」。その果てに浮かぶ焼けた船のような犬のような。黒姉さんが、死んだ弟のようにたたずんで、どこか悲しげに顔を崩す姉さん。

船焼き捨てし船長は泳ぐかな、と、高柳重信の俳句が出て来て、ああ、この俳句があった本『蕗子』は「東京太陽系社」の本だったのだな。水星。その後、高柳さんは『山川蝉夫句集』があって、高柳さんですが山川さんで、六つで死んでいまも押入で泣く弟、と書いていました。押入れにはテレビがあるので、ザザザザザーと泣く線


鳥類さんには即座にばれていました。ちなみに作者はねぎ姉さん単行本化したときに、「高橋重信」と誤植しています。普通の国会議員みたいなことになってしまった。


「420話」http://negineesan.fc2web.com/negi420.jpg
崩壊間際。崩壊する間際の作り笑い。冬の北海道のように冷たい言葉は、姉さんを破傷風にする。悟りを開いたような笑顔で、傷口を見えないように塞ぐ。
「何もできないのなら 笑うしかあるまい」
そうして切断される姉さん。わからん。


「1049話*」http://negineesan.fc2web.com/negi1049.jpg
あらゆるものを死人に見立てて、死人になることが流行する世界。行間をたっぷりとって感傷的な文字を連ねるだけで、安直に詩人を名乗れることへの皮肉のようでもある。そんな擬死人はボラの卵巣のごとき形態をしているが、姉さんいわく「からすみじゃないよ」。では何であるのか。

カラスミではないものは、シシャモでした。深海の油が多いサメの腹から出てきたコッテリした塊でした。塊がダンスして短い手足を動かして動きます。短い手足が多いし、骨の形が単純だ。「うじのワイドショー」では料理の後にジャラジャラジャンジャンとソロバンを扱う人がいて、多くのゲジゲジが木でできているように乾いていた。ゲジゲジは、足です。ゲジゲジもちょっとの工夫でこのラジオ(速度)」


カラスミみたいな高級品じゃない。スーパーのパック詰めで売られるシシャモなのだという。実際には、本物のシシャモは貴重で、他の魚をシシャモと称して売っているそうであるが、つまるところそういう偽シシャモなのであって、「短い手足が多いし、骨の形が単純」な、サメのはらわたのような擬詩人。ウィキペディアを信じちゃったりして、みんなすなおなよい子。

さあ、そんなシシャモたちでも、まあ食えるだろうと姉さんと黒姉さん、背骨のファスナーを楽しげに開陳。うじーサファリパークにもいない、グチばかりで行動も起こさないうじ虫と、木製の乾いたゲジゲジがみっしり詰まっているのであった。バラエティの力と、ソロバン勘定でなんとか食えたもんにはなれど、4コマ目で姉さん陳謝、そこからも味は推して知るべし。でも食い物として扱わないなら、ラジオになったり扱いようはある。蓼食う虫も好き好きと言ったら怒られたことを思い出しました。せめて十人十色とか言えだって。


「1085話*」http://negineesan.fc2web.com/negi1085.jpg
ボケの始まったねぎ姉さん、人間だから忘れることだって有ります。カレーを食うのは掃除機のルンバ。でも人間です。そう、なんでももとは、脳のある人間だったのです。ミミミもオケもアメンメも、キノコも脳も姉さんも、みんなみんな人間なのです。

今日は知らないキノコを食べましたが、店で食べたので、食べられるキノコだったと思います。こどもの頃はキノコの図鑑を読み続けていました。脳のようなキノコが多くて、脳の図鑑なのではないか歌って


人間なので脳があります。ということは、あらゆる図鑑には脳が描かれている、脳図鑑でない図鑑はないのです。ちなみに人間の脳は首もとにあります。はい。


キリなさそうなので、いくつかだけやっつけで。とりあえずいろいろ読んでみることをおすすめします。同作者の「闇鍋ブロードウェイ」なども良いです(おすすめはファーストの「こわっぱのはなし」など)。こっちにも鳥類さん、律儀に詩をつけてます。詩を付けてるやつから読むもよし、まるでランダムに読むもよし。4コマ漫画が現代詩に近づく瞬間をまのあたりにできます。

意味を否定してもそこに意味が見出される、そして無意味という意味が組み合わさって、はじめの意図や衝動とは全く違った解釈が、はるか砂漠の果てからでも生まれてくる。

現代詩とか作品とかって、そうやって成長すればいいんじゃないですかね。本物も、解釈可能性も、優劣も必要ない。のーみそこねこね((C)コンパイル)しながら、偶然と必然をぐっちゃぐちゃに煮つけて4コマにでも8コマにでも4000コマにでもしてしまえる。4コマ漫画がここまで自由なのに、コマの制約すらない現代詩が不自由でどうする。


散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】小笠原鳥類×小林銅蟲「ねぎ姉さん」 Copyright KETIPA 2011-03-07 23:52:11
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