クリュ 対 ムネストラ
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福田つねあり の つね の字が難しくて書けないから、ネットでもひらがなにすることにしてるんだけど、ここで、つね の字を見事に変換して見せると、知的気取りが発生して、他人に害を与えるので、あえてひらがなで通すことが思いやりだと思う。
世の中には驚くほど思いやりが欠如していて、ハンバーガーチェーンやコンビニで、偽の笑顔を与えることが必要だという意識が思いやりとして扱われている一方、福田つねありの つね の字をひらがなのまま通すことに対して、何らの配慮もされていないのが実情なので、
そういうところから草の根式運動で、思いやりを広げて行き、世の中を良くすることが必要だと感じる。でも多分この運動は根付かず、世の中は一生よくならなず、思いやりが欠如したままだと思った。
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それで、福田つねありが何を言っていたかというと、男女のすれ違いさえ勝負だと書いていた。
男女はすれ違った際にお互いを値踏みし、そこで格付けが決まって、勝負が決まると書いていた気がする。(『私の幸福論』)
さて、ということは、その、すれ違いを経た際にも、相手から何らの評価を与えられなかったということは、勝負に負けたということであり、相手が勝ったということなので、侮蔑を受けたので、憤っても良いと思う。
具体的には、相手が彼女にならなかったとか。
そこでは、相手による値踏みと選別が行われて、「貴方には価値がない」といわれたのも同義なので、相手は敵となる。値踏みされたから。
だから、彼女にならなかった女性は敵といえる。男は競争相手なので、基本的に敵。
だから、世の中みんな敵かというと、そういう考えは短絡的なので良くない。
たとえば、猫はやわらかかったり、ふわふわしたりしているので、味方だと思う。他には、牛は牛乳を出すので味方だし、豚も肉を食わせるので味方だと思う。
自由詩
クリュ 対 ムネストラ
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2010-12-28 22:59:31