椅子
裕樹

 小さな喫茶店である
 余りにも小さすぎて
 見落としてしまいそうなそういう場所を
 隠れ家と呼んでいた
 隠れ家にはたった一つだけ揺り椅子があった
 その椅子は
 誰のものでもなかった
 しかし
 その椅子に必ず座するものがいることは
 誰もが知っていた
 
 日当たりのよい
 窓辺の揺り椅子に
 一人の青年は何時も座っていた
 
 彼が何を思うかと言えば
 もしかしたら愛だの恋だのという
 ありきたりなものであったかもしれないし
 あるいは詩の行方であったかもしれないし
 船が無事出航したかどうかということであったかもしれないし
 椅子をきしませながら
 彼は物憂げな顔で外を見ていた
 
 彼に話しかけるものは
 いたのかいないのか
 私には記憶がない
 ある日
 椅子は片付けられていていた
 古くて危ないからと
 店主は言う
 青年の姿はどこにもなかった
 店主のいれたコーヒーを飲みながら
 私はもう青年のことを忘れていた

 居場所など
 どこでもよかったんだよね
 と
 後ろの席で声がする
 何の話であったのかはわからないが
 私はだがこう心で反論する

 きっと
 彼にとって居場所は一つだったのだろう
 どこでもよい
 わけもなかったのだろう

 と




自由詩 椅子 Copyright 裕樹 2010-11-05 16:49:57
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