【句評】 √/石畑由紀子
古月

√/石畑由紀子
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空に√をかざす まだこたえはない

尾翼灯でもいい 君の名を三回


空に√をかざす、という。
ルート。平方根、なのだろうか。よくわからない。読んでいるこちらとしても「こたえはない」ので、ちょっと途方に暮れて空なんて見上げてみたりして。まぶしさに目を細める。東の空に、遠ざかる飛行機の姿が見える。尾翼灯が瞬いている。
ふと、なるほど、と腑に落ちる。
ふたつの句をあわせて読むことによって、こたえのない情景に、こたえを見つけた気がした。
直感に従って、自分なりに読んでみる。


改めて√について考えてみる。ルート。空にかざす。
いま、空を見つめる私にとっての「空」とはなにか。ごく普通に考えるならば、私が見つめる空とは鏡のようなものであり、そこには私の心が投影されているはずだ。
私の心の中の空には、いま何も映っていない。ただルートの記号だけがある。ルートの中に当然あるべきものが、ここでは全く示されていない。
ルートの中には何もないのだろうか。それとも何もないのではなく、ルートの中には確かに何かあるのだが、それは形の掴めないものなのだろうか。
あらためて句を読んでみると、「まだこたえはない」と書かれている。
まだ見ぬ答えがあるのならば、当然問いもあると考えるべきだろう。ルートの中には何もないのではなく、何かわからないものが、わからないけれど確かにあるのだ。
とすれば、物語はなんとなく見えてくる。

ルートの中にあるもの。
自分でも判然としない、不定形なもの。割り切れないもの。
かざしたルートの中に機影が見える。
私から遠くへと飛び去っていく、その尾翼灯の瞬き。
点滅する光が、私へと送られる何かの信号であるように思えて、いつまでも目が離せない。
君の名を三回唱えてみる。
空のまぶしさに翳した手の、その形が、√になっている。

……こんなところだろうか。
ルート=航路とも読めるかな、と考えたりもしたが、だからといってどうなるものでもなかったので、これは忘れることにした。


この句を読んでいて面白いなと思ったのは、ルートという数学記号それ自体に、不思議なセンチメンタルさを感じたことだ。この無機質な記号に宿る感傷は、いったいどこに由来するのだろう。とても興味深い。
あたりまえだが、人間の心は数学のようにはいかない。問いから導かれる解はひとつではないし、決まった解法もない。だが、この数学的・論理的な思考というものは、セルフコントロールにおいては有効な手段である。そうした気丈であろうとする心の微細な動きすらも、この句からは伝わってくるようである。

ここではあえて二つの句を「空」という共通点で結びつけて読んだが、この読み筋を確保したままで、それぞれを独立した句として読むことも、もちろん可能である。
「空に√を〜」の句に関してはむしろ、この句だけで読んだほうが味わいは深いだろう。具体的な物語を持たないことで句は逆に奥行きを増し、読み手は自分の物語を句の中に投影できる。
数学記号を用いるという取り合わせの面白さで終わらせることなく、それが世界観を深く掘り下げているところに、この句の本当の良さがある。


散文(批評随筆小説等) 【句評】 √/石畑由紀子 Copyright 古月 2010-06-24 16:50:09
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