ふうもんの日時計
たりぽん(大理 奔)

朝焼けの練色が射し込む砂丘に
一人立ち尽くすと僕は日時計になるのです
河口の方向に伸びる長さで季節を知ると
はき出す息の色が
まっくろな海のうえに
浮かぶのです

明日、がどこかではないことで
風景がかすんでしまいます
すべてが鮮やかに
切り取られすぎるから
ぼんやりとしたものが懐かしく
思えるのでしょうか

声が聞こえます
遠くで聖神社の御輿が揺られて
小さな漁船の形をした屋台が
その後をついてゆくのです
どこかにたどり着くためではなく
循環する暦に漕ぎ出すのです

僕は風紋を文字盤に刻みます
だから、あやふやな時間たちは
風に運ばれてしまうのです
そして同じ時は刻まれないのでしょう
それでも、出港の季節のかげの長さなのです
漕ぎ出しましょう、まっくろな海に
ぼんやりとしたそらを
槍鉋のような波頭でそぎ落として



自由詩 ふうもんの日時計 Copyright たりぽん(大理 奔) 2010-05-18 00:36:40
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