針刺して
佐々宝砂

夜な夜な通う男があった。
おのれとは不釣り合いな貴人であると思ったから、
娘は誰にも告げなかった。

幾山越えて川越えて
林を抜けて森抜けて
夜な夜な参る者の名を
ちちはは知らずたれ知らず
されど
やがては知らるるものぞ

気付いたのは母であった。
あの男は誰かと訊ねても娘は答えなかった。
知らぬのであるから答えようはずはない。
山の向こうから森を通ってやってくるのだと、
ただそれだけをようやくに呟いた。

やがて他の者も気付いた。
腹が膨れてきたのでは隠しようがない。
せめて男の住まいがいずこかだけでも知りたいと、
母の智恵は娘に針を持たせた。
糸通した針は男の裾にこっそりと縫いつけられ、
翌朝。
糸をたぐった先に眠っていたのは
一匹の大蛇であった。

幾山越えて川越えて
林を抜けて森抜けて
夜な夜ないつくしみあえど
蛇は蛇なり人は人
されば
やがては別るるものぞ

父は鉈の一撃で蛇を殺した。

残る問題は娘の腹のうちにいた。
ちちははは悩み答を探しあぐねた。
菖蒲湯がよいというものがいた。
いや針がよいというものがいた。
一斗の油を飲ませよ、
氷の水に漬けよ、
腹を冷やせ、

父は針と菖蒲を漬けた水に娘を沈めた、
苦しがる娘を無理やり水に押しとどめた、
膨らんだ白い腹が痙攣し、
水はたちまち赤く染まったが、
それは堕胎の血であったか、
針に刺された娘自身の血であったか。

でろり赤黒くぬるぬるした紐が
幾本もいくほんも
娘の身体から吐き出された。
鉈で叩きのめして樽に入れられたそれは、
二升と五合あったと云う。

幾山越えて川越えて
林を抜けて森抜けて
夜な夜な情け深めしが
孕みし子らは因業の
因業の

父は振り返り
血に染まった盥の中の娘を見た。
息をしていなかった。




自由詩 針刺して Copyright 佐々宝砂 2010-03-18 00:33:43
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