中二病患者からの反論 (走り書き
結城 森士

今、23歳になっても次のようなことを主張する私は、世間でいう中二病以外の何者でもない。そして私自身、自分のこの考えが社会に通用するとは考えていない。

しかし
あくまでも、「人間社会には」、だ。


以下がその主張だ。

文章は構成も考えていないし、見直しや推敲も一切していないので読み苦しいに違いない。だがこれは私の自己満足の文章であるから仕方ない。
自己満足というより、その瞬時に思いついたことを書き記した、単なる走り書きのメモだ。



* * *


人間は、物事を記号化し、言語化することによって進化してきた。
よって、人間がもっとも人間らしくあるために必要な学問は、「言葉を厳密に定義し、それに基づいて物事を考えていく学問」のことである。そしてその最たるものは、法律学だ。法律学こそ、社会という記号化された組織を、言語という記号によって成り立たせている、根源的な学問だ。

言語に限界があるとしたら、法律学にも矛盾は必ずある。
まず、いくら言語を厳密に細かく規定しようとも、言語という記号だけで物事を取り決めることに限界がある。

例えば、二元論の限界がある。
広島に原爆を落としたことを善とするか悪とするか。
この議題でディベートをしても、未だに決着がついていないのだ。
いくらお互いの立場で言語を駆使して主張を
繰り返しても、依然として答えは出ないのだ。
これは、ものごとの善と悪を決めることは不可能であり、今まで善と悪と定められてきたものは、実は権力にとって都合の良い選択をされてきただけだということに他ならない。
もしも善悪を決定するのなら、最終的には主観が必要であるということである。
その主観こそが、法律である。
そして法律は、そのときの権力によって都合よく定められている。

ここまで理解できれば、小学生にも分かるはずだ。
いや、本当は誰もが理解しているはずだ。
ありふれた言葉を、敢えて言いたい。

「世の中は嘘と欺瞞に満ちている。」

しかし、この問題に対して、多くの人は中二病という言葉で封じ込めようとしている。
考えても仕方ない、と。
現実だけを見ろ、と。
勝てない戦はするな、長いものには巻かれろ、と。


私は単純なことを主張する。

「目先だけしか考えてないその思考が、命取りになる。現に、人間のそのやり方が地球を破壊しているじゃないか」

中二病と笑いたければ笑えばいい。だが、いい加減気づくべきだ。
今、私達が本当に考えなければならないこと、しなければならないことは何なのか、を。



知識のある方なら、私にこういうのだろう。
「行動しかない。あなたがそう思うのなら、そういう風に行動すれば良いんだ。変えたければ変えればいい」
と。
しかし、言葉に限界を感じているということは、要するにこの人間社会に限界を感じているということである。


私は死ぬ勇気を持ち合わせていないが、生きていることの矛盾を感じている。
生きていることの矛盾を持つということは、常に絶望が傍らにあるということである。
そんな私を、人は 中二病だ と笑う。
ごもっともだ。

私は、救いようのない中二病である。

だが、多くの人々は、救いようのない中二病という重い病に侵されていることに気づこうとしていない。





彼らは、病気であることに気づいている私よりも、遥かに重症である。







命を捨てずに脱却したい。
命を捨てずに脱却したい。






※追記:

改めて、おれは他人を舐めているのだと感じる。
おれの書いた内容など、誰だって理解している。
やれないことをジタバタと騒ぐのではなく
ただ黙々と、やれることをやっているだけだ。
ほとんどの大人がそうだ。

要するに、おれは単なる中二病だってことだ。





私は、昔から人より頭の回転がいいほうではなかった。
23歳の私が上記で考えたようなことなど、まともな中学生なら、すでに理解しているはずだ。

私だって、世の中のそういった矛盾にはそれなりに早い段階で気がついてはいた。人より遅かったとはいえ。

初めてインターネットに文章を投稿したことを覚えている。
あれは16歳だった。
そして、「言語には限界があると思う」というタイトルだった。

わたしは、14歳から悩み始め、16歳で既に言語の限界に気づいていながら、23歳になるまで何一つ改善しようとしてこなかった。それが悔やまれる。

なぜ気づいてたのに、調べようとしてこなかったのだろう。
人生が過ぎ去るのは早い。

この現代詩フォーラムというサイトにも、中学生や高校生はたくさんいるだろう。

もし万が一この文章を読んだ奇特な方がいたら、どうか早いうちに色々と考え、突き詰めてほしい。

考えられるのは、若い僅かな時間だけだ。

進学校とか、偏差値とか、そういうものだけに捉われないでほしい。
そして、若いうちに絶望しないでほしい。
今思えば、絶望は逃げだ。
おれも、今逃げているだけかもしれない。


自分のために、もう一度、繰り返したい。

絶望は逃げだ。



散文(批評随筆小説等) 中二病患者からの反論 (走り書き Copyright 結城 森士 2010-03-10 16:07:45
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