【批評祭参加作品】つめたくひかる、2—江國香織『すいかの匂い』
ことこ

 前回の「つめたくひかる、1―江國香織『すみれの花の砂糖づけ』」(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=201263)では、江國香織の詩における「つめたい」という言葉は、精神的な距離、隔たりを暗示させる場面で用いられていると結論づけた。今回はさらに、江國香織の『すいかの匂い』を「つめたい」に着目して読んでみたいと思う。

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 『すいかの匂い』(新潮文庫)には、夏をテーマにした、11人の少女の、11話の短編が収められている。この中で「つめたい」という言葉を探したところ、全部で10ヶ所、8話に出てきた(さすがに小説になってくると文章量が多くなるので、見落としもあるかもしれないが、そう大きく数が変わることはないと思う)。まずはそれを、挙げてみたい。

○みのるくんは真剣な顔で言って、私のほっぺたにそっと触れた。細くてつめたい指だった。(「すいかの匂い」)

○つめたく濡れた甲羅、暗緑色のひんやりした手足、厚ぼったいわりになめらかな皮膚、無表情な瞳。(「蕗子さん」)

○持っていたコップから石鹸水がこぼれ、私の腕をぬるぬると濡らす。つーっと肘までこぼれたしずくが、つめたくて不愉快だった。(「蕗子さん」)

○くつ下が、濁った泥水の中で鮮やかに白い。つめたさが私に現実を甦えらせ、おとし穴とわかっていておちたくせに、ふいに涙があふれる。(「蕗子さん」)

○ビニールプールのへりは赤く、私はいつもそこにぐたりと頬をもたせかけていた。日ざしにあたためられたビニールは水に濡れ、あたたかさとつめたさをいっぺんに、頬で味わうことができた。(「水の輪」)

○金魚。たしかに金魚みたいだ。つめたい水の中を泳ぐ、ひらひらした金魚。(「海辺の町」)

○木々の深い匂いと土のつめたさ、それにめまいのような日ざしの中でするお葬式ごっこは、家の中でするそれの比ではなかった。(「弟」)

○そう、と言って学生はもう一度わらう。おしろい花の濃いピンク色が、まるで闇を吸収するように、深く、つめたく、冴え冴えとしている。(「焼却炉」)

○はじめていった日、茶色い大きな椅子にかけさせられ、銀色の器具で乱暴に鼻を上に向けられた。そんなものを鼻につっこまれたことはなかったし、器具はやけにつめたくておどろいた。(「はるかちゃん」)

○背中に舐めるような視線を感じ、私は体がつめたくなって手のひらが汗ばんだ。(「影」)

 まず、「焼却炉」の「おしろい花の濃いピンク色」が「つめたく、冴え冴えとしている」というのは、精神的な「つめたさ」について語っており、これは詩にみえた「つめたい」と同じと言えると思う。
それ以外の「つめたい」は、物理的な「つめたさ」を語っている。ただここで少し気にかけておかなければならないのは、「つめたい」と語られているときの主人公の心理状態である。
 例えば「すいかの匂い」では、「みのるくん」にほっぺたを触られているわけだが、この「みのるくん」というのは、あずけられた田舎の叔母の家から家出した「私」が道に迷い、辿りついた家にいた、「上半身を共有した」男の子二人のうちのひとりなのだ。みのるくんに触れられた「私」は「ひろしくんになでられているようでもあ」り、「混乱した」というのだから、主人公の心理状態は不安定な状況であったと言える。
 また、「蕗子さん」のひとつ目は、「蕗子さん」から裸のカメをみるためにカメの甲羅に切れ目を入れるという話を聞いた時の回想シーンだ。続けて「じゃこじゃこと腹を切り裂く包丁の感触まで手に残っているような気がする。そして、その感触は、私が生まれてはじめて味わった「とりかえしのつかないこと」の苦さだったと思う」と書かれており、やはり主人公は不安定な心理状態であることが窺われる。他にも挙げていけばキリがないので割愛するが、前後の文脈から推察しても、『すいかの匂い』において「つめたさ」が語られるとき、主人公は不安定な心理状況に置かれていると言える。

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 ところで、江國香織の詩において、「つめたい」は精神的な隔たりがあり、「ひいやり(ひんやり)」は精神的に満たされ、安定している、といった具合に、用いられる場面が異なることを前回指摘した。では、小説においてこれらの差異は見られるだろうか。『すいかの匂い』で「ひんやり」が用いられている場面を見てみよう。

○つめたく濡れた甲羅、暗緑色のひんやりした手足、厚ぼったいわりになめらかな皮膚、無表情な瞳。(「蕗子さん」)

○午後、私と蕗子さんは台所で一緒にアイスクリームを食べた。(中略)ひんやりとうす暗く、ぬかみその様な匂いのする台所だった。(「蕗子さん」)

○とてもしずかな場所だった。かなり奥まっていたので空気がひんやりし、秘密の火葬場には、これ以上ないくらいふさわしかった。木々の深い匂いと土のつめたさ、それにめまいのような日ざしの中でするお葬式ごっこは、家の中でするそれの比ではなかった。(「弟」)

○台所は暗く、ひんやりとして、私は、流し台の向うの小さな窓をみていた。(「ジャミパン」)

 ここでまず気づくのは、「蕗子さん」のひとつ目と「弟」、2ヶ所の「ひんやり」は、「つめたい」とごく近い場所で用いられているということだ。「蕗子さん」のひとつ目の、「つめたい」と「ひんやり」を入れ替えてみても、「ひんやり濡れた甲羅、暗緑色のつめたい手足、厚ぼったいわりになめらかな皮膚、無表情な瞳。」となり、ほとんど意味は変わらないと言える。
 一方、「蕗子さん」のふたつ目と「ジャミパン」は、どちらかというと精神的に安定している場面で用いられている。「蕗子さん」では、同級生にいじめられた「私」が、何故だか気の合う下宿人の「蕗子さん」とアイスを食べる場面であり、「ジャミパン」では、「私」と「母」は「スリップ一枚で、うちじゅうで一ばん涼しい台所の床にならんで横にな」っているというリラックスした状態である。
 ここから、小説における「ひんやり」の場合は、「つめたい」と共に精神的に不安定な場面でも用いられており、単独では精神的に安定している場面で用いられている、といった具合に、詩のなかにおける使用ほどには明確な違いを断定することは出来ないと言える。

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 話を再び「つめたい」に戻したい。冒頭でも述べた通り、『すいかの匂い』は夏をテーマにした短編集である。そのことと、「つめたい」が精神的に不安定な場面で用いられていることは、『すいかの匂い』の各話を構成する上で、非常に重要な位置を占めている。
 ここで、「つめたい」の出てこなかった3話のうちの2話で、挙げておきたい場面がある。


 数人の客が降り、女はいちばん最後に――しかしいちばんきっぱりした足どりで――ホームに降りた。ふりむいて、さあ、というように私を見る。
 私は一歩も動けなかった。
 キオスクに、袋に入った冷凍みかんが並んでいるのが見えた。公衆電話が見え、銀色の大きなごみ箱も見えたけれど、私は一歩も動けなかった。
(「あげは蝶」)


 これは、「あげは蝶」の最後のほうの場面であり、帰省する途中の新幹線の中で出会った「女」とともに、「私」は両親から逃げようと一度は決意するものの、結局出来なかったところである。足がすくみ動揺する「私」の目の中に、「キオスク」の「冷凍みかん」が飛び込んできている。


 海で、父の教え方は厳しかった。
 毎年、最初に海に入る瞬間がもっともいやだ。ひたひたとまず足のうらが、砂の上で泡立っている水に触れる。ついで足指、足首からふくらはぎ、膝。このへんまでで、上半身にはたちまちとり肌がたつ。水に足をとられて歩きにくい。
(中略)
 水からあがると母が待っていた。バスタオルをひろげ、にっこりとわらって。かわいたタオルはあたたかく、秩序と安心の匂いがした。
(「薔薇のアーチ」)


 ここでは「つめたい」という言葉は使われていないものの、朝の海の水はもちろん「とり肌がたつ」ほどに「つめたい」わけで、「海は苦手だった」という「私」の不安定な心理状態を増長させている。
 このように、「つめたい」という語が出てこない話においても、「つめたい物」が登場することで、主人公の不安定な心理状態が暗示されていると言えよう。
 これに加え、今度はエッセイ集『いくつもの週末』(集英社文庫)から少し引用してみたい。

●いちばん気持ちがいいのは朝の公園だ。空気が澄んで、まだ誰も吸っていない酸素にみちている。物の輪郭がくっきりし、世界じゅうがつめたくしめっている。(「公園」)

●そうして、公園というのはそれでさえおおらかに、空の高さや空気のつめたさ、葉の揺れる音や小枝の美しさ、季節の推移や雨の匂いを頭上にひろげていてくれる。(「公園」)

●夜中の雨はとくに爽快なので、ベッドに膝をついて寝室の窓から存分に眺める。雨に洗われた、つめたく気持ちのいい空気が肺いっぱいに流れこむ。(「雨」)

 以上3ヶ所が、私が探した限りで見つけられた、『いくつもの週末』における「つめたい」だ。このエッセイでは、「つめたい」はいずれも爽快な、プラスイメージで用いられている。
 これに対して、『すいかの匂い』における「つめたい」が不安的な、マイナスイメージを抱かせる場面で用いられていることは、やはり意図的であり、物語を読者に印象付ける上で重要な役割を果たしていると言える。夏のうだるような暑さの中、ふいに触れる「つめたさ」。幼いころの記憶を手繰りよせたとき、ビビッドに脳裏に浮かぶ、心を乱されたときの、生々しい「つめたい」という感触、。『すいかの匂い』は、11人の少女の夏の記憶として、実に巧みに「つめたい」という感覚を描いた作品だと言えよう。


散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】つめたくひかる、2—江國香織『すいかの匂い』 Copyright ことこ 2010-01-12 19:43:48
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