・ネット詩は存在するのか
【■批評祭参加作品■ネット詩fについて/清野無果さん】
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=100523
【インターネット時評(5回)・ネットと活字媒体、詩の状況は刻々と変化していく /光富郁也さん】
http://wolfeditorial.at.webry.info/200809/article_2.html
「ネット詩は存在するのか」という問いは誰かの私邸で行われる合評会で「この私邸は存在するのか」と問うのと大した変わりはない。つまりあなたの僕の眼前に確かにネット詩は存在する。後はそれをなんと呼ぶかの違いだけであり、便宜上僕もその現場をネット詩と呼び、そこにいる詩人をネット詩人と呼ぶ。
ネットに投稿される詩の数や質についてはもう語る必要はないと思っている。単純に詩誌と比べるのならそれは編集者がいるかいないかだけの違いだ。僕はネットの"詩の現場としての質"を問題にする。
・ネット詩の風景
【ネット詩人は電気詩壇の夢を見るか/いとうさん】
http://poenique.jp/jisakusi/ronkou/net.htm
三角みず紀さんは詩誌の投稿により育ったそうだ。そこにある詩を読み、投稿する中で意見を取り入れたり、何くそと思ったりしながら自らの詩を見つめ直して詩の才能を開花させていった。
ネット詩はそういう"育つ現場"として詩誌や朗読の現場を抜いて一番大きくなっている。これからもネット詩は存在し続け、その存在感は益々大きくなっていく。膨大な情報の渦の中で詩人たちは呑まれるのか、或いは何かを打ち立てるのか。
分母分子論という論が存在するそうだ。「ある世代にとって土壌とした背景が分母で、そこから生まれたその時代の作家の作品群が分子としたとき、次の世代にとっては前の世代の分子が分母として加わっていく」。この論に依るまでもなく、ネットという現場で何も積み上げることなく無為に時間と有効な場、何より人材を浪費すれば何も未来のためにならない。
・批評せよ
【ネット詩も孤立するか ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ】
http://abecasio.blog108.fc2.com/blog-entry-526.html
外部からの忠告を頂くまでもなく批評は必要である。基準の明確な足し算に批評家は必要ない。基準が存在しないからこそ批評が必要なのだ。批評祭にわざわざ参加してくれるあなたたちが必要なのだ。現代詩フォーラムという場が必要なのだ。文学極道という場が必要なのだ。当初「ネット詩」とやらと対立した詩誌で活躍される方も必要なのだ。詩人も学者も批評家も読書家も若者も老人も、みな未来のために必要なのだ。
・批評するには
【批評についてつれづれに思ったこと。(おまけ付き)/いとうさん】
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=100009
これで僕自身批評祭を三度繰り返した。批評という言葉の持つ悪いイメージを覆したと胸を張って言わせて頂く。ネット内ではこれまでの挙げ足取りばかりの批評から大きく前進した。出来れば詩人さんたちはこのイメージを大事にしてもらいたい。それは酷評を避ける、ということではなく、いとうさんの言う「肉屋で魚を売っていないと騒ぐこと」をしなければそれで十分だと思う。
先は長い。あなたの責任感の続く限り未来は続いていく。書ききれないことがあるので、それはいつか書きたいと思う。
最後に改めて。批評をすることは他人と自分が違うことを認めることです。あなたが他人とあなたの違いを認めたとき、あなただけが持っているスパイスに気付けることを、この散文があなたにとって少しでも良いスパイスとなることを、僕は願っています。