洗面所から見えない空
草野春心

  ぼくは髭を剃ることが好きだ
  冬の朝の洗面所で
  鏡に向って
  そのとき空が晴れていて
  死にたいぐらいに青ければもっといい
  もしもそれが
  洗面所から見えない空でも



  見えているか見えていないか
  それは重要なことじゃない
  同じとき確かに在るものに
  すっぽり包まれているのがいい
  見えているものは切り取られた形
  見えていないものを思うとき
  心は悲しい音をたてて軋む



  ぼくは電気シェーバーを好きになれない
  シェービングクリームと剃刀で
  たっぷり時間をかけるのがいい
  時間は髭を剃るみたいに淡々と過ぎる
  こんな事実は滑稽なようで
  それでいてぞっとするようで



  洗面所から見えない空は
  見知らぬ誰かの痛みに似ている
  その誰かの幸福にも似ている
  一瞬のように見えて一瞬は
  大きな厚みをもった永遠なのかもしれない



  ぼくは髭を剃ることが好きだ
  きっとこの街のどこかで
  空は晴れていて
  涙がこぼれそうなほど青いんだ
  それがぼくの
  洗面所から見えない空でも





自由詩 洗面所から見えない空 Copyright 草野春心 2009-10-12 02:08:26
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