溌剌とした宇宙
吉岡ペペロ

宇宙は溌剌としていた
滴るような蝉の声が宇宙に降っていた

病院ですれちがう人々はどんな人も
それぞれの生や死をしのばせていた
ぼくはそれに無関心を装いながらエレベータを探していた

ぼくは5歳のころ母と別れた
親戚の家で母はぼくに
形見のように戦車のオモチャを渡した
それでさよならだった
母への思いは姿や形、解釈や余韻をかえて
ぼくのなかで常住だった

ぼくは母の手術にたちあうために
生まれてきたのかもしれない
看護婦が手術室の広い銀色のドアを開く
そのなかに母が入った
そのうしろ姿を見ていた
病気になってから母はぼくに連絡をくれた
大学附属病院内にあるドトールコーヒーで
三十五年ぶりに母と再会した
ああ、これが母なのか、
ぼくはじぶんのことを
そのときほど愛しく思ったことはない
ああ、これが母なのか、
姿や形、解釈や余韻をかえて、ぼくのなかで母でありつづけた母、
幼いころからのあらゆる母への思いを
めのまえの老女がぼくに許させた

手術室が閉まった
手術室までの道すがら
ぼくには母に伝えたかったことがあった
でも伝えられなかった
それはすごくつまらないことだ
母の病室は617号室で
61はひっくりかえしたら19で
7月19日は、お母さん、ぼくの誕生日だよ、

宇宙は溌剌としていた
滴るような蝉の声が宇宙に降っていた


自由詩 溌剌とした宇宙 Copyright 吉岡ペペロ 2009-08-12 11:23:58
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