国語における雑感
北村 守通

 非ピリン系さんの『日本語が危ういと思う訳』
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=182654

 を興味深く拝読させて頂いた。様々なご意見がコメント欄に寄せられているが、そのどれもに納得し、どれを選択していけばいいのだ、と悩んでしまうところである。

 考えてみれば、英語教育においてはボク達が義務教育を受けていた頃は文法構造の理解が最重点におかれ、会話に用いる、という点はそれほど重視されてこなかったように思える。個人的には『英語学』ともいうべき語学としての英語の学習であって、会話のツールとしての英語に関しては、所謂英会話については学校教育の場においては用意はされていなかったように思える。それが英語の勉強というものに対して否定的な印象を与えてしまうこともあったりもするようだったし、現在でも時々そういう相談を受けたりもする。
 いっそ授業の名称を『英語』とするよりも『英語学基礎』だとかにすればすっきりするのに、などと思ってしまうのはボクだけだろうか。(単に『英語』という名称だと、色んな方向を期待してしまったりするのだと思ったりもする)
 
 冗談はさておき

 しかし、英語の授業の展開の仕方にも学ぶべき点はあって、例えば英文に対する和訳文を作ってみるときに、『こういう文法構造を考慮しなければならないから、この様な訳文になる』という観点で話が進められる。つまり、実際の文章の中で文法構造について考え照らし合わせてみる、といった展開になる。古文の学習においてもこうした展開は基本であった。しかし、所謂『国語(現代文)』においては文法の学習と、問題文読解の演習は基本的に別個に存在してしまっていることが非常に多い。問題文(例となる長文)の中に、やはりこうした文法的な視野からの問いかけを作ってみても面白いのに、とふと考えたりもしてしまう。そう考えると、『国語』の中で細分化してジャンル分けする、という方法よりも、テキストの中で浮いた存在になってしまっている文法事項を、実際の文章の中でどの様に展開されているのかを確認する、といった作業を取り入れることが必要なのかもしれないなぁ、と思ったりしてしまうのである。(まぁ、こんな文章力だと説得力もなにもあったものではありませんが。)

追伸:作文力については確かに様々な要素があるかとは思いますが、自分の意見をまとめる、という行為に慣れていない、ということがあるかもしれません。また与えられた題目によっても本人に語りやすいもの、語りづらいものがあるかと思います。『昨日観た漫画が面白かった』という会話から『誰がどうした話だったのか』『何が面白かったのか』という方向に発展させながら、それを書き出してみる、といった練習も効果的だったりするかもしれませんよ。
 


散文(批評随筆小説等) 国語における雑感 Copyright 北村 守通 2009-04-07 00:07:47
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