詩に嘘を書くということ
白糸雅樹

 「家出したくなる時」という詩を書いてアップした時、夫は私との生活ののろけを随筆で書いているのに私が珍しくアップするとなったらこんなのだと不公平で可笑しいな、とおもしろがってはいたものの、これが人に心配をかけるとは思っていなかった。アップしてしばらくして、この詩を事実だと受け止められてしまったら、ずいぶんと知り合いの人に心配をかけてしまったかなと、たいへん申し訳なく思った。
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 この詩を書いている時に事実だったのは、この詩を思いついた時に食器を洗っていたことと、我が家では欠けたどんぶりや急須をそのまま使っているということであって、私はまったく家出したくなってはいなかったし、「荒れた生活」を送ってもいない。よくできた夫と一緒に、いたって幸福にくらしている。欠けた皿と荒れた生活を結びつけたのは、単なる思いつきというやつである。

 先日、畏友の日記で、詩を描くということに関して信条としていることとして、「事実に反しないこと」を挙げているのを見てかなり驚き、人によって詩を書く信条というのはずいぶん違うものだと感じ入った。私は、詩が事実そのままであれば、たんなる心情の吐露ではないかと後ろめたさを感じ、嘘を書けば人を騙しているようで後ろめたさを感じ、いつも後ろめたさのなかでふらふらしながらものを書いているが、おおむね、詩とは嘘であるという方を信条としている。

 しかし確かに、作品の主張するところのものが自分を離れて一人歩きしてしまったら怖いなと思ったり、逆にこれが私の主張するところのものだと思われたら嫌だなという理由でアップしなかった作品もある。いい機会だからこれもアップしようと思う。
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 去年、谷川俊太郎さんへ質問する機会を武甲書店で得たときに、「詩を書いていてご自分の言葉に後ろめたい気持ちになることはないですかか?」と伺った。谷川さんは即座に、「ないです」と否定し、その後少し補足してくださった。「言葉は共有のものだから、読み手に対して責任はとれない。いかに美しく人をだますかというのが問題で、真偽についてうしろめたいというのはないです。」
 これこそ職業詩人ならではの言葉だと感じ入った。同時に、自分の信条と離れたところで、キャラクターに憑依して詩を扱い続けたら、行き着く果ては、戦中の戦意高揚詩ではないかとも思い、私は拙作「兵士の歌」に対して、後ろめたさをぬぐえなかった。

 これからも私は、相反する二つの後ろめたさを感じながら書き続けていくのだろうと思う。

                              2009.3.19
谷川俊太郎さんの言葉に関しては、詩誌「詩悠」より部分引用


散文(批評随筆小説等) 詩に嘘を書くということ Copyright 白糸雅樹 2009-03-19 03:01:46
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