心が向き合って
短角牛

言葉を知りたければ本を読めといわれた

だからマンガを読んだ

べつにどこぞの偉い人の話ではない

寸分たがわず私の話だ

Toeicで海外出張にいけるくらいのスコアをとった

わりと優秀な成績で学位を取得した

恥ずかしながら いやちょっと自慢気に 私の話である

でもシェイクスピアがどうのこうのとは語れない

アムロのダメさ加減だとか シャアのスピードだのはいくらでも語れるのに

光源氏がロリコンでマザコンで熟女好きでド変態だといわれるとなるほどそうなのかと反論もできない
(本当にそうなのかは知らない)

世の中には「外見上の見た目」のほかに「心の見た目」もあるようだ

それは教養なのかもしれないし おばあちゃんの知恵袋なのかもしれないし 企業秘密ののスパイス調合比率なのかもしれないし 我が家自慢のぬか床なのかもしれない

ニコニコ動画を極めることと 金儲けを極めることのどちらが生きていくには必要かといわれればわかるかもしれないがどちらが正しいかといわれると答え難い

しかし心の見た目を整えれば 心の充足を選べるはずな気がするのだ

世界中が無農薬栽培を始めたら食糧危機が起こることはわかっている

わかっているがしかしそれでも有機栽培は比べることもおこがましいほど素晴らしいのだ

心を装うと

僕は漫画に興味がなくなる(もちろんアンテナが高いから知識はもっている)

シェイクスピアが実は複数の作家の合作であったという説にも興味津々である

オペラのチケットなんかをエレガントにポケットから出してしまうかもしれない

そしてなんだかんだいってそういう人はやっぱりかっこいいと思う

しかし

心とこころが向き合った時

なぜだかココロのヨソオイははだけてしまって

ぼくは醜悪にちらかった心を大解放するのだ

僕はそれを最高にかっこ悪いと思う


なにがいいたいかって?別にいいたいことはないよ

どっちにあこがれているかわからないから、羅列してるだけさ。



自由詩 心が向き合って Copyright 短角牛 2009-02-13 00:39:42
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