『インサート』
m.qyi

『インサート』

Hitoshiがうちに遊びに来た。暇。
そしたら、Hitoshiがコンピュータを叩いている。
「なんで、おまえ、こんぷーたー、叩いてるの。」
「いま、休みもらってるけど、急にメールが入った。」
「あ、そう。ポルノじゃないんだ。こっちは、いろいろフィルターかけてるらしいから、おまえが見たいようなのは、だめかもよ。」
「そんなの日本でバンバン見るから、いいよ。」
「いいなあ。」
「ちょっと、気が散る。」
「おまえ、さ、おもしろいの、その出版社の仕事って。」
「。」
「ね、詩もやってんでしょ。」
「。」
「おれのも、載せてよ。」
「。」
「ね。」
「無理。」
「あ、そう。じゃ。覗いていい。」
「じゃましない?」
「うん。」
「このXって、俺、知ってるよ。『インサート』とかいうやつだろう。」
「うん、Xさん。」
「山村ってのは。」
「うちの社長、編集長。」

X様
拝啓
執筆期間は2ヶ月です。写真、絵、どんな画像でも結構です。なるべく動画ではないほうがいいと思います。
今まで、特集の編集方針などはなるべくお伝えしないでお願いしていたんですが、今回は方針を少し変えておりますので、ヒントになるかどうかわかりませんが、御説明申し上げます。
私の印象では、Xさんの詩や作品は、性愛を扱っているところが私には面白いんです。
芸術一般に言えると思いますが、絵でいうとわかりやすいので、ここでは、絵で説明しますと、絵のよさ(美)はどこにあるのでしょうか、画家の心の美を表しているのか、対象の(例えば自然の“隠された”)美しさを抽出しているのでしょうか。(これを“パラレル・ペア”と呼びましょうか。私個人の造語です。)前者をexpressionism、後者をimpressionism、又は前者をromantic、後者をrealismと大枠で呼べると思うんですが、様々な議論もこの枠内のバリエーションで議論することが多いでしょう。ところで美の源泉がどこになろうと、芸術の場合には共通の疎外を受けます。つまり、キャンバスとか絵の具とかを使わないといけないので、道具の良し悪しとか、天候の加減とか、技術の稚拙とか。持っている/感じている美しさ、又は、自然の美をそのまま直接/直截に具現することはできません。人間が神様ではない所以です。視覚的に非常に感受性の強い人が画家とは言いがたく、非常に美しい風景が絵とは言いがたい理由です。この比喩は非常にあぶなかっしいのですけれど、芸術的な美しさは、画家の心でも自然の対象でもなく、キャンバスに具現されています。(あぶなっかしい―こんな考え方はできないというのが、最近の考え方だと思いますので。私もそう思います。しかし、この線で話をすすめますと、)
 「愛」と言うとなんだかロマンティックですが、「性愛」というとはっきりと対象が必要であり、その対象と自分の間にこのキャンバスが立ち現れてくる、(se) X(交差点)が出てくるでしょう。Xさんの芸術は、この(se) Xが実はよく把握できない、塗り替えられていく色合のものだという感覚をお持ちのように感じるのです。これが、お願いした第一の理由です。
 キャンバスが目の前にあると普通の人は戸惑うものです。やれ構図はどうするとか、やれどうやって油を溶こうかとか。ところが、この疎外感が非常に感じにくい芸術形態があり、それが詩だと思います。しかし、言語は非常に社会的な、つまり最も人工的で複雑な道具でこの疎外度(使い難さ)が非常に高いはずです。(もともと詩文の解釈批評についての考え方が言語そのものの考察に端を発しているので、言語についての理解がもっと必要なのかもしれませんが、ここではその疎外の度合いのみを言及しました。)例えば、粘土より木の方が、木より大理石の方が制約が多く、鋼鉄の塊に鑿を立てるとなると不可能に近いでしょうが、そのくらいの制約が言語にはあるはずでしょう。しかし、それが全く感じられない構造を言語はもっているようです。「愛」のような感情、「性愛」のような感覚の場合、難しい理屈はいらない、ただ心のままを言葉で表現/表出(express)すればいいわけでしょうからこの使い難さ(疎外感)がないように思われます。
「性愛」と言うとなんだかフィジカルですが、比喩的に言って、私の愛情と行為の交差としての「性愛」、本来は一体であるはずですがそのフィジカルなものの裏面の「性的な愛」というような感情的、感覚的なものを表現しようとすると、その交差点のXがかえって言葉でうまく表現できないという感覚をお持ちのように感じるのです。これが、お願いした第二の理由です。
そこで、パラレル・ペアを前提にすると、交差点にぶつかるけれど、そこにあるものはなんだろう。それを何か見方を換えて見てみたらどう見えるだろう。そんな動機でお願いしてみました。このパラレル・ペアや交差点そのものを疑問視されることも可能だと思います。
執筆の際、何かの御参考になれば幸いと存じます。

敬具

x月x日
猫の友社 編集長 山村清次郎

「おまえ、これどうすんの。」
「誤字チェックの後、発送。」
「これ、いくらかでるわけ。その書くとさ。」
「言えない。」
「企業機密。言うなって言われてる。」
「俺、思うんだけど、言ってもいい?」
「どうぞ。」
「こんなこと言われたら、『インサート』とかっていう詩かけないんじゃない。」
「。」
「でるもの、でなくなるよ。」
「。」
「美人なわけ。」
「ああ。だから休暇とったの。」
「は。」
「転職サイト見てんの。」
「は。」
「こっちだったらなんかないかなって。」
「みつかったら、おれも引いて。」
「無理。」
「いいじゃん。アルバイトでも。」
「入れるものも、入れなくなっちゃう。」


『インサート』 了


散文(批評随筆小説等) 『インサート』 Copyright m.qyi 2009-02-08 01:11:58
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