山葡萄の血
亜樹

 悦子は小学5年生である。
 悦子の通う小学校は、とても小さい。全校生徒は、100人にも満たない。
 悦子の家は、学校から3キロばかし離れている。悦子は入学したときから、小さな足でその距離を歩いて通っている。同じ方向から通っていた友人は、3年の冬、父親の仕事の都合で都会の学校へと転校した。以来、一人で悦子は登下校している。
 ここいらでは、変質者よりも熊の方が遭遇率が高い。悦子の赤いランドセルには、学校で配られた熊よけの鈴が二つ、つけられている。リンリンとそれが可愛らしく鳴っていた。
 長い下校の途中、悦子の最近の楽しみは、山葡萄の実を握り潰すことである。
 それは、登下校中の山道に点々と生えている野草だ。葡萄のように赤紫の実が房になって生っている。
 山葡萄、と呼ばれてはいるものの、それは食べられない。悦子はそれは毒だと祖母にきつく言い含められていた。山葡萄だけではない。へび苺も彼岸花もダリアも、赤いものは皆毒だ。
 最初はそれをとっては、一粒ずつ道路に向かって放っていた。ときたま通る車に轢かれ、点々と赤い模様ができる。それが気に入っていた。
 握りつぶしてみたのは、ほんの気まぐれだった。濃い赤い汁は、悦子の掌を真っ赤に染めた。道路に小さな模様をつけるより、ずっと楽しかった。
 真っ赤に染まった手を、舐めてみたい、と悦子は思った。
 けれども、それは毒である。
 仕方なく悦子は、毎日家に帰ってから、母親に見つからないように石鹸で丹念に手を洗っていた。

 その日、朝から悦子は下腹部が酷くだるかった。
 それでも、学校までは歩いていかなければならない。
 授業の内容など、頭に入るはずもない。長い一日が漸く終わり、いつものように山葡萄を握りつぶしながら悦子は家に帰った。
 手洗い場で手を洗う。石鹸で、ごしごしと。
 そのとき、不意にどろりと下着の中が汚れた感触がした。
 怪訝に思った悦子が、トイレの中に入り、下着を下ろすと、どす黒い染みがべったりと付着していた。

 ああ、どうしよう、と悦子は思った。
 ああ、どうしよう、山葡萄の毒だ、と。


散文(批評随筆小説等) 山葡萄の血 Copyright 亜樹 2009-01-24 21:55:52
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