刻まれたものは擦り切れるまでは息遣いで在り続ける
ホロウ・シカエルボク





取りこぼした一日のことを思いながら濡れた路面を漂っている午後の温い焦燥、底が破れ始めた靴のせいで靴下はすぐに嫌な湿気を持つ―吐き出したガムの形状が悲惨な最期を遂げた誰かみたいで、名前を思い出す前に踏みつぶして殺した
たくさんのアドレスに電話をかけた夜のことを思い出す、他者を介さなければ判らない真実があるって信じていた時代はいつの間にか昨日へ流れていた―流れてしまえばすべては同じ昨日、そこにどんな特別な思い入れがあったとしてもさ―太陽の光はさりげなく注がれていたけどもう暖かくなることは無かった、ほらみろ
我々は否応なく冬のさなかへ押し込まれる、ラッシュ・アワーに雪崩れこむ乗客みたいにさ…割り切ることと受け入れることはまったく種類の違うものだ、一見少しも違いは無いように見えるけれど…そこに牙があるか無いかの違い、って言えば少しは分かってもらえるかい?
音楽を聴くのにもう手順は必要ない、小さな箱に電池を入れてメモリーを選べば―その気があれば一日中だってフェバリッツを聴き続けていられる、だけどねえ、それは全く俺の知ってる音楽とは別物に思えるぜ…懐古主義者だと言われればそれまでだけど―デジタルは記録するだけ、アナログのように刻まれはしないじゃないか?滑りのいい引き出しみたいなものさ、すっと何の抵抗もなく―開かれたスペースから選択して取り出すだけさ
刻まれたものそれ自体が振動しながら鳴っていた時代のことを俺は知ってるぜ、大好きなものだって擦り切れていくんだって誰もが知っていた時代のことを、いや、違うんだ、そのこと自体は大して重要なことじゃない、味わおうと思えば今だっていくらでも味わえるものだしね…余談ついでに言わせてもらえばターンテーブルは黄色いヒップ・ホップの遊び道具じゃない、それだけはちょっと気にかけといてくれるかな、それは本当の息遣いを知るための道具なんだ
熱い季節が過ぎてうるさいくらいに道路工事の数が増えた、笑顔を浮かべながら静かに旗を振る交通誘導警備員は―その仕事の成り立ちや意義について、全く疑いを持っていないように見えた、俺もあそこに立ったことがある…金だけはたくさん手に取ることが出来たな、だけどそれ以外にいいことなんかなかったよ、でもそれは別にこの仕事に限ったことじゃない―一生懸命にやればなんだって同じようにこなすことが出来る、なんて、脳味噌まで体力で出来てるやつらの専売特許さ…どんなところに行ってもやたらに切りつけられるだけさ、俺がいくつかの詩を隠し持っていることがやつらには分かるんだ、麻薬犬のように鼻が利くからね
近頃コンビニも兼ね始めた中古セルDVDの店に入ってガムをひとつ買った、そんなもの噛んでいたいわけじゃなかったけれど、見飽きた景色が続けばひとつぐらいはなにかを真面目に変えたくなるものさ、そうすりゃ日記だって少しは張り切ってつける気にもなるだろう…思うに俺の肉体の傷が最近とみに増えてきたのは―やっぱりいくつかの振動が身体に刻まれたまま癒えてないせいなのかもしれないな…消えないことはもう知ってしまっているし―シックでもホリックでも呼び方はなんだってかまわないけれど―ミニサイズのホットサンドみたいな粒になっちまったガムからはデジタルな味がする、そこには舌触りがないせいなのさ、俺は思うんだ、表面を滑らかにしちまえば大抵のものはデジタルに見える―70年台にどんな新世紀が描かれていたか思い出してみろよ、そしたら俺の言ってること少しは伝わるかもしれないぜ?
堤防に出た、雑草まみれの歩き辛い堤防だ、だけどそこを歩いていると河の側だという感じがする、夕暮れ前の光を黙って受け止める緩やかな流れの川面は死を身近に感じ始めた老人のように見える…シンパシーを感じるのは決して良いことではないぜ―安易な結論を求め過ぎてしまうのは頭でっかちになってる証拠さ、程よく行動が伴っていれば―結論に固執するのは愚かしいことだってすぐに判るようになる、思うにそこにも振動ってやつがきっと絡んでいるんだろうな
デジタルな音楽を聴きながら、デジタルなガムを呑み込み、アナログな振動について考えながら、アナログでアナクロな身体を揺らせてモノクロな橋を渡るとそろそろ家に帰りつく時刻だ、堤防から見る家並みはすべてが裏側だ―勝手口のドアの脇に積み上げられた明日廃棄されるためのゴミの堆積、俺はそれだって詩と呼んじまう、韻律とか文法よりそんなもののほうがずっと重要なのさ、汚れなきポエジーなんか話のタネにもなりゃしねえ―すれ違う自転車の若者たちがどいつもこいつも唇を少し突き出しているように見えるのは気のせいか―?
もうすぐ夕暮れ時だぜ、今日の空は赤くなることは無い…ただ光が無くなって、もう少し冷えるだけさ…そろそろ帰るぜ




シャワーを浴びて、デジタルを洗い流そう


俺の身体は、プログラムじゃ動きゃしないからな






自由詩 刻まれたものは擦り切れるまでは息遣いで在り続ける Copyright ホロウ・シカエルボク 2008-10-28 23:35:14
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