月の光
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【月の光・第一夜】



わたしは彼女を
殺さなくてはならない
彼女の横顔は
月に照らされて
泣いているようにも
笑っているようにも
困っているようにも
嘲笑っているようにも
縋っているようにも

見えた。



彼女は耳がきこえない
口をきくことができない
彼女は淡々と奏でる
ピアノの譜面には
「月の光」
と書いてあった。
暖かく、優しく、
淡々と奏でられるそれは
何故か悲しかった。



わたしは彼女を
殺さなくてはならない
彼女はただ、奏でている
その指は白く、長く、
月の光に照らされて
優雅で
戸惑っていて
すべらかで
どこかぎこちなく
躊躇っているような
決意に満ちたような

そんな風に。



そこは空の上にあるような
見晴らしのよい丘にあって
白く塗られた木のテラス
黒光りするグランドピアノ
彼女の髪
白い肌は
月の光に照らされて
泣いているようにも
笑っているようにも
困っているようにも
嘲笑っているようにも
縋っているようにも

見えた。


【月の光・第二夜】



愛を語る言葉は愛ではない

彼女の奏でる音は
わたしにはそう響いた
彼女はわたしを
どう思っているのか
少し遅い時間の来客。
おそらくは、その程度。
わたしは彼女を
殺さなくてはならない
そんなことは
とっくにわかっている

おそらくは。



淡々と奏でられるそれは
昨夜と同じ音楽
ただ色調は変わっていた。
わたしにだけ、わかるように。
それが何を意味するのか
彼女の横顔は
月の光に照らされて
泣いているようにも
笑っているようにも
困っているようにも
嘲笑っているようにも
縋っているようにも

見えて。



彼女にわたしの
言葉は届かない
殺すコトでしか
思いを交わせない

否。

そんなコトのために
来たのではない。
わたしは彼女を
殺さなくてはならない



今宵は銀の三日月が
濃紺の空に刻まれて
満ち始めた何かは
わたしの
何かを壊そうとしていた

わたしは。

今、此処に居る意味を
喪いかけている。



【月の光・第三夜】



私は彼女を殺した。

何度も何度も殺した
無くならない。
彼女がいなくならない。
どこにいても
何をしていても。

何度殺しても。



上弦の月が
彼女を残酷に照らす
奏でるは
今宵も「月の光」
その横顔には
やはり表情は無く
ただその音には
一片の悲しみが
一枚の桜の花弁のように
風の中に織り込まれて

夜に溶けた。



彼女は耳がきこえない
口をきくことができない
わたしは問うた
生きる理由を。
彼女はわたしの目を見て
そしてまた淡々と
奏で始めた。
彼女は耳がきこえない
口をきくことができない

それが、答えなのか。



空の上の白いテラスで
彼女は奏で続ける
彼女に表情は無く
それは澄んだ水鏡のようで
ただ、聴く者を
正確に、残酷に、
夜に映しては
溶かしてゆく
わたしは何か
取り返しのつかないものを
ほどかれてしまったようで
深い藍の中に
溶けてゆく音を
ただ呆然と眺めていた
穴のあいた器のように
わたしはわたしから
漏れ出てゆく
彼女の奏でる音にのせて
ふいに、
海の中にいる記憶が
呼び起こされて
重力を喪くしたわたしは
不安と
自由と
悔恨と
安らぎの
檻の中で
優しくも残酷で
温かく、切ない音が
臍の緒のように。

わたしの中に、繋がっていた

わたしは
彼女を
殺さなくてはならない



【月の光・最終夜】



月は 満ちようとしていた

項垂れた百合が
咲き乱れる庭で
一際暗く輝く白は
首を傾げるようにして
今宵も「月の光」を奏でる
その手
その指先
その横顔。

彼女は耳がきこえない
口をきくことができない
百合の溜め息と
銀の月と
アンサンブル、否
これは協奏曲。
美しきあなたは
黒のドレスに縁取られて
いよいよ妖しく
悲しく。
輝いていた。



私は
彼女を殺すことができない
手は震えている
視界はぼやけて
異常な程澄んだ聴覚
彼女の指先から
奏でられる音が
全身に刺さり
骨を取り巻き
指先まで支配される
渇いた喉
膨張する輪郭
夜に溶け込んで
私は
哀れなマリオネットになり
優雅に ぎこちなく
ダンスを始めた

月は、まだ満ちてはいない。



引き剥がされた夜
暴かれた翼
開かれた夜の口は
ザクロ
鳥居
サイレン
終わりの、赤。
星星は蒼白くさざめき
月はよりいっそう
残酷な銀色
それは彼女の頬を切り裂き
髪を切り裂き
その白い指先を狂わせる
カクカクと前後に
振られるアタマ
首筋は折れそうに細く
空の上の白いテラス
黒光りするグランドピアノ
は、グズグズに溶けて

彼女が奏でているのは





意志を喪って
色を喪って
皮膚を喪って
時を喪って
空気を喪って
重力を喪って
意味を喪って
輪郭を喪って
空へと、落ちて
彼女の糸に繋がれていて
逆さまの目と目は
刹那、繋がって
全ては渾然一体となって
渦を巻いて
月に向かって垂れてゆく
涙の雫のように
彼女はまだ奏でている
上下を喪った世界の中で
ただ、淡々と。
ほの暗く光る指は
6本になり、4本になり、
超絶技巧的に
largeo《ゆったりと》
夜を刻んでゆく
私を刻んでゆく
赤く 赤く
終わりの
始まりの。
突き刺され
閉ざされて
内へと広がる
ほどけた糸
赤く 赤く
色を喪って
白い肌
黒い髪は流されてゆく
反射的に伸ばした手は
彼女のいのちを
掴んだ。

ああ
これこそが。

狂い求めた「月の光」
彼女が
耳も聞こえず
口もきけずに
奏で続けたものは
ここに、あった。



終わらない協奏曲は
時を奪いながら
永劫の夜に
ひとひらの悲しみを
織り混ぜて
いつまでも
いつまでも
いつまでも
いつまでも

全てが、溶けても。



私は
私を殺せなくなってしまった。





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自由詩 月の光 Copyright xxxxxxxxx 2008-10-15 17:18:17
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