ー自由に拘束された現代の叫び、アイ・ドント・ノウというバンドについてー
猫のひたい撫でるたま子

ー自由に拘束された現代の叫び、アイ・ドント・ノウというバンドについてー


 ドキュメンタリー映画「マホウノセカイ」に登場したバンドは、「アイ・ドント・ノウ」といいます。彼らは、最新型、踊れる「鬱」ロックという売り文句で、ギターボーカル、ベース、ドラムのスリーピースで活動しています。
 ロック音楽とは一般的に社会やモラルに反発する様な、心を揺さぶる音楽と認識されていると思います。「鬱ロック」と聞くとまるで彼らが鬱病であるかの様ですが、現代にはびこる「鬱」の感情を払拭するような疾走感のある音楽です。
 彼らは音楽事務所に入っているわけではなく、別に仕事を持ちながらも新宿を中心とするライブハウスで定期的にライブを行い、自主制作でCDを作って自ら発売し、関西、東北などを自分たちの車でまわってツアーをしている、いわゆるインディーズと呼ばれる活動をしています。
 活動を始めて今年の夏で二年が経つ彼らの曲の中で、根強い人気がある「ウチノコニカギッテ」という曲があります。歌詞からの引用で、「両親は子供を先生は生徒を信じて疑わない」という言葉があります。親や先生が子供を信じてあげなくて誰が子供を守るんだ?と反発意見が殺到しそうな言葉ですが、「悪いのはウチの子じゃない、悪いのはワタシじゃない」と歌詞は続きます。それが幼い子供であっても例えば誰かをいじめて傷つける事は悪いことです。しかし、ただ傍観して見てみぬ振りをしてしまうことや、真意を確かめずに子供をかばっていじめた事実をなかったことにしてしまうような行為は特に咎められません。
 歌詞はこう続きます、「オレもオマエも同罪だ」と。いじめっこ、傍観者、いじめられた子供を作ってしまった環境、更に言えばいじめに遭った子供にもなんらかの原因があります。いじめの事件が発覚すれば怒られるのは当然いじめっこばかりです。怒られなかったり、守られてしまうその他大勢は、自分には関係のないことだと自己をかえり見ることができず仕舞いです。これをいじめでは無く、殺人や自殺に置き換えても同じことが言えるのではないでしょうか。曲の終わりに、「何も持たないこの僕たちが天罰をくらわしてやる」と、ボーカルがドラムセットから飛び降り「天誅」と叫びます。
 彼らの否定するところはどこでしょうか?どうすることも出来ない社会の焦燥感でしょうか?自分から目を逸らす人間の弱さでしょうか?真意は分かりませんが、彼らが持つ怒りを感じることは出来ます。どうにもならないことへの憤りをただ一瞬感じることはあっても、人はすぐに忘れてしまうし、何かをすることは出来ません。怒りとは恐怖心から生まれるものであるなら、彼らはそれを振り切って怒り続け、人が目を逸らしがちなことを音楽によって知らしめることをしている数少ないミュージシャンです。
 昨今は癒しの歌が多いように思います。特に恋愛とは男女が許しあう幸せな時間かもしれませんが、恋愛の切なさ、恋を失った悲しみを歌った様な、そういう歌ばかりが街から聴こえてきます。楽しい音楽だから、聴いていて心地がいいから、恋をしたような気になれるからでしょうか。
 またアイ・ドント・ノウの別の曲に「許されてしまうから変われないんだ」という歌詞があります。音楽とは自由なものであるかもしれませんが、楽な音楽ばかりに浸っていられるから、人が許し合っている幻想に陥って見落としてしまっていることがあります。心地のいい音楽が流れ、豊かに見える日本の社会の一方では、欲や憎しみから生まれる残忍な事件、自分が生きてゆくための価値を見出せずに自殺してしまう人たちで溢れています。だから心を癒すための音楽もまた必要なのだと思います。
 そうではないアイ・ドント・ノウの音楽は、言われたら辛く、出来たら耳を塞いでしまいたくなる様な言葉が多く使われ、それが聞く人間の心に痛みを与えます。その衝撃から自分が曖昧にして逃げてきたことと向き合ったり、やるべきことを見つめなおすきっかけを掴む可能性があります。
 ただ、彼らは健全で正義感のある救世主ではありません。現代の若者の持つ当たり前の不安を持ち、その不安から無差別に殺意を抱いてしまうような焦燥感を抱え、弱くて弱くて仕方のない心と内省しながら生きているのです。そんな自分と同じ目線でモノを言っている彼らだからこそ、常識や社会をすんなり受け入れることの出来ない若者が耳を傾け、考えることが出来るのでしょう。
 ただ若者が苛立ちから叫んでいる音楽と思われるかも知れませんが、普通の若者である彼らが叫んでいることは現代の生の悲痛さです。衝動的な怒りからではなく、疑問を持つことで敢えて人を傷つけるというやり方は、本人たちにとっても辛いことです。多少強引な言葉を使って傷つけることによって視聴者を追い詰め、それでしか知ることができない切実な気づきがそこにはあるのでしょうか。そういったやり方で人の目を覚まさせるような愛情を与えてくれる音楽なのです。少なくても私は「アイ・ドント・ノウ」の音楽に出会い、上辺だけの愛情に疑問を持つことが出来、多少自分の愚かさを知ることができた幸福な一人だと思っています。


                                
アイ・ドント・ノウ 公式ホームページ
http://www.geocities.jp/idontknow0218dead/


散文(批評随筆小説等) ー自由に拘束された現代の叫び、アイ・ドント・ノウというバンドについてー Copyright 猫のひたい撫でるたま子 2008-09-13 00:58:03
notebook Home