たかが私の
佐々宝砂

たかが女の髪ひとすぢ と
スウィフトは(そういえばドジソン先生も)
書いておられましたが

粉砕され漂白された木質繊維にさえ
人の思いこめられるものならば
かたちもDNAもとどめたこの動物性蛋白に
その持ち主の思いこもるのは
理の当然でございましょう


さて昨年の晩秋のこと
私は思い立って剃髪し
百円ショップで毛糸を一山買ってきて
その毛糸と自らの髪を縒りあわせ
ざっくざっくとセーターを編みました

それから私は庭に出て
真夏に刈り取った草木を集めて焚き付けにして
編んだばかりのセーターを焼きました

晩秋のからかぜが
つんつるてんの頭に寒うございましたが
私はつかのま晴れやかでございました


けれど
育つことを停めた肉体に属していながら
髪は今日も育ちゆきます
剃っても剃っても
朝にはうっすらした翳りとなります

たかが女の髪ひとすぢに
怨念無念こもるなら
セーターに編み込むことすらなされず終わる
この毎朝の翳りには
いかなる念がこもることかと
おののく方もおありでしょうが


つまるところそれは
たかが私の髪でございます
私の髪 私の念でございます
地上の誰に宛てたものでない
天の誰の汚れをぬぐうこともない

たかが私の


(2002)


自由詩 たかが私の Copyright 佐々宝砂 2008-06-24 03:04:06
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