詩猫の独白
しろう



俺は猫だ。
とは言っても猫という俗称もニンゲンが勝手に付けたものだから、「俺は猫だ。」と言うのには少々抵抗がある。
本来我々には「ニャンジャラス界ニャンゾラス門ツメカクス綱ガブリヌス目ウニュメルム科バビローン属ウニャン種」という長ったらしい種族名がある。(これもニンゲン語に分かりやすく訳したものだが)
だが、ここではニンゲン諸君に分かりやすいように、「猫」でまぁ良しとしておく。


俺は猫だ。
わりと長いこと生きている。
どのくらい長い間かは我々とニンゲンとの時間感覚の違いにより、上手く説明することはできないが、森がだんだんと減っていったという実感だけはある。
諸君にも少しは知られている事だと思うが、猫という種族は長く生きているとしっぽが先の方から二股に分かれてくる。
俺はすっかり根本まで二股のしっぽになってしまったが、実はそれで得したことはあまり無い。しっぽが増えてバランス感覚が良くなったということもない。もともとバランス感覚には優れていた自信があるしな。
だからひとえに長生きしているとは言っても、とくに何かを成したという記憶も全くない。けれども言っておくと、俺はこの国ではたぶん一番有名な猫だろうと自負している。

少しだけ例をあげる。
実は、お魚を失敬してサザエさんに裸足で追いかけられたのは俺だ。
ちょっとアレは怖かったな。とくに髪型が。
もっと有名なところでは、ある小説に書かれたこともある。
もっともあの小説は、偏屈な物書きのおっさんが勝手に俺の語り口調をでっち上げて書いただけで、内容としては俺とは無関係な上に実に心外なものではあったが。

ところで、いかに有名猫とはいえこれだけ長生きしていると、ぐーたらな俺でもだんだんと生きることに飽きてきてしまった。ぐーたらするだけに喜びを見いだすのが困難になってきたのだ。とうとうその厭世観が頂点に上りつめて「もうそろそろ死に場所を見つけるか」と思ったその時だ。ふとあの偏屈な物書きのおっさんのことを思い出した。やたら俺を観察しながら紙に向かって文字を書き付けていたおっさんを。

それからさ。
俺が言葉を綴るようになったのは。
少しは生きる慰みになるかと思って、俺もあの小説みたいにして、俺が感じることを文で書いてみようと思ったのさ。

初めの頃は、鉛筆をなんとか無理矢理指の間に挟んで書いていた。正直指が痛かったし、毛が生えているせいで鉛筆が滑り落ちることが多かった。そのため、字も上手く書けないことがほとんどで何度も何度も同じ文字を書き直し、本来は慰みであるはずの文章を書くということが、肉体的かつ精神的苦痛でもあった。
だけど時代は進むもので、今はパソコンという便利なものがある。慣れてくればキーボードを打つのは、鉛筆で書くよりもはるかに簡単なことだ。

ここらで、なぜ猫の俺がパソコンを持っているのか、またさらに、なぜこうしてネットに繋がっているのか不思議に思う向きもあるだろう。
ここだけの話。
猫にもな、秘密の地下組織ってやつがあるのさ。
俺は長生きしてるから、まぁここでも地位はあるんだ。
おっと、この話はアフレコでな。あまり知れ渡ると色々と厄介だ。

さて長々と独白してしまった。
今ではだいぶキーボードを打つのにも慣れてきたとはいえ、長文を打ち込むのはやはり面倒だ。生来俺はめんどくさがり屋だったもので。
だから俺は、
普段は短めに詩を書いている。







自由詩 詩猫の独白 Copyright しろう 2008-03-04 18:52:32
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