環状感染症候群
渡 ひろこ

「取れないのよ」
薄紫の煙草のけむりのような輪を
月桂樹の冠みたいに
ぐるり と頭にのせて
隣りの席でカノジョがボヤいている


アノヒトのことが
頭から離れないと言う


そういえば
下弦の細い三日月のような目になり
アンダーなジョークを飛ばす
カノジョの笑顔を
最近見なくなった


事務を執るかたわらで
なにやら思い出の余韻を
何度も反芻しては
口の中で
クチャクチャ味わっている


人生五十余年にして
初めて
フォール・イン・ラブしてしまったらしい


すだれアタマの波平のような
カノジョの夫は
窒素や二酸化炭素と共に
漂っているだけの存在だという



今度は宙の一点を見つめ
石のようになったので
どうしたのか
声をかけると


あまりにモヤモヤした輪が
頭を締めつけてくると
訴えるので


フゥーーーッと
吹き消してやろうとしても
輪郭がわずかに歪むだけで
ビクともしない


よく見ると頭の中から
小さな手が幾つも生え
取れないように
必死に押さえているのだ


これじゃダメだと
『コイワズライ』の処方箋を
書いて渡しても
ハラリ ハラリと落としてしまうし


そのうちに
反芻しながら垂らすヨダレを
ところかまわず
周りの人にまき散らして
ますます症状が重くなるので


鏡をいろんな角度に置いて
病状の進行を
知らしめようとしても
焦点が合わないらしい




だんだん
ワタシの方が気に病んで
どうにかしようと
躍起になっていった


これまで何の迷いもなく
磨いてきた
“美徳”という器を
目上のカノジョがことごとく割って
対岸まで行こうとするのが
耐えきれなかったのかもしれない




(放っておけばいいのに…)




気づいたら
ねじれた義憤を
呑みこもうとして
呑みこめず
反芻しているのは
ワタシだった


ふと
鏡に映った自分の姿を見ると


薄紫のモヤモヤした
輪が

頭に巻きついていた







自由詩 環状感染症候群 Copyright 渡 ひろこ 2008-02-18 20:47:09
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