批評祭参加作品■気風は断絶したか?
岡部淳太郎

 稲川方人の「気風の持続を負う」(一九七七年)はちょっといい文章だ。荒川洋治の「技術の威嚇」(同年)への反論という体裁をとっているが、稲川の詩の書き手としての侠気というか使命感というか、論理を越えた真摯な気持ちが率直に綴られていていい。「やたらと状況論的把握に走りたがる思考は、人名と年次を並べてことを済ませる三文批評家と変わりがない」という荒川に向けられた痛烈な一文は、私にとっても耳の痛いものだ。稲川はここで荒川の「主体の態度がぬるい文章」を槍玉にあげつつ、「〈六〇年代詩〉以後という、少なくともわたしには粗末に出来ない題目を念頭に置きながら」そこから受け取ったもの(おそらくそこには愛着とともに異和も含まれているだろうと思われる)を素直に告白しながら、その〈六〇年代詩〉の「気風」を受け継いでいくことを宣言している。一種の信仰告白のようにも見えるが、先行世代の輝きだけでなく汚れさえも受け継いでいく、その覚悟が語られているのだと思う。少なくとも現代詩が残してきた歴史の上に立ち、その先にあるひとりの書き手として誠実であろうとしているように見える。
 この文章で稲川は「気風」という言葉を使っているが、それは時代ごとにそこに書かれた詩を被ってきた詩的精神のようなものだろう。稲川は堀川正美が一九六二年に書いた「感受性の階級性・その他」という文章を援用しつつ、堀川の言う「詩の気風の交代」が〈六〇年代詩〉の頃にあったとする(堀川の言うことをそのまま認めているわけだが)。そして、その気風は(稲川のこの文章が書かれた一九七七年当時においても)いまだつづいており、「気風の交代」は起こっていないと見ている。
 そこで気になるのが、二十一世紀に入って言わば「〇〇年代」が終盤にさしかかろうとしている二〇〇八年の現在、「詩の気風」はどうなっているのかということだ。なんといっても稲川のこの文章は三十年も前に書かれたものであるし、その年月の長さを思えばそれから現在までの間に日本の詩に何かしらの変化が訪れていてもおかしくはないと思える。果たして「詩の気風」はどこかで交代していたのか? 二十一世紀という現在における詩的精神はどんな様相を呈しているのだろうか?
 あえて稲川が嫌う「状況論的把握」にもとづいて現在の日本の詩の状況を見渡してみる(それが近視眼的なものになってしまうかもしれなかったり、ほんの少し横目でちらっと眺める程度に落ち着いてしまうかもしれないのは承知の上である)。詩集があり、同人誌があり、商業詩誌がある。これはいまも昔も変らないが、それに加えて現在はやたら可能性ばかりが喧伝されてどこか落ち着きのなさげな「ネット詩」というものがある。いっぽうでそれぞれの書き手を軸にして見てみると、田村隆一や吉岡実など戦後詩の分野に華々しく登場した大家の多くは鬼籍に入り、それにつづく世代も日本の詩をリードするにはあまりにも年老いてしまっている。それ以降の六〇年代や七〇年代に登場してきた詩人たちも沈黙したり気ままに書いていたりで状況から離れてしまっているように見える。それより後の世代となると決定的にスター不足であるという感は否めない。つまりは、軸がないままにそれぞれがそれぞれの場所で孤独に存在しているだけのように見えるのだ。これは私の勝手な思いこみにもとづく見取り図ではあるが、現状はそこからあまり遠いところにはないだろう。
 こうした現状を見てみると、果たして二十一世紀の詩の現場に「気風」などというものが存続しているのかと疑いたい気持ちになってくる。またそのいっぽうで、そんなに「気風」にこだわる必要はないのではないか、それぞれが孤独に存在しているのならそれぞれが勝手に良い詩を書いていればいいのではないかという思いもしてくる。もし「気風」が断絶してしまって雲散霧消してしまったのならば、それもいいのではないかと思ってしまいそうになる。
 稲川方人が「気風の持続を負う」を書いた翌年には吉本隆明の「修辞的な現在」(『戦後詩史論』所収)という論考も書かれている。「戦後詩は現在詩についても詩人についても正統的な関心を惹きつけるところから遠く隔たってしまった。しかも誰からも等しい距離で隔たったといってよい。感性の土壌や思想の独材によって、詩人たちの個性を択りわけるのは無意味になっている。詩人と詩人を区別する差異は言葉であり、修辞的なこだわりである」という冒頭の文章はその当時の詩の状況をコンパクトにまとめたものだが、特に前半の「戦後詩は」から「隔たったといってよい」までを読むと、それが現在の二十一世紀の詩の状況を予言した言葉のようにも思えてくる。「詩」という中心軸があると仮定して、その大文字の「詩」から遠く離れたところにひとりひとりの書き手が散在している。吉本が言う「修辞」に力点を置く書き手も、「生活」などの個人的事象に力点を置く書き手も、大文字の「詩」から遠く隔たって、内実を何となくごまかしながら書きつづけているように見える。仔細に眺めればそうではないと言われるかもしれないが、全体としてそのような印象を抱いてしまいそうになることもまた事実で、問題はなぜそのような印象を抱いてしまうのか、現在の詩がそれぞれに個別で存在していてそれに無自覚なまま大手を振って歩いているように見えてしまうのはどうしてなのかだと思う。そこには詩だけに限らずこの二十一世紀という時代を被う時代的雰囲気が影響しているのだろうが、現在の詩がそのように見えてしまいかねないということは、どこかで「気風」の断絶や破棄があったのではないかという思いを惹き起こさせるには充分であると思う。
 先ほども書いたように、「気風」が断絶しているか否かということは本当は大した問題ではないのかもしれないし、歴史の積み重ねの中でその重みにあえぐように詩を書くよりもいっそ歴史など捨て去って書いた方が身軽であり、その方がずっといいのかもしれない。ともかく私を含む詩の書き手たちが(「詩人」という言葉を使うのは自分にとっても口幅ったいのでこういうややこなれていない言葉に置き換えておくが)、過去に書かれた多くの詩作品が導いた結果としていまこの時代にいることは確かだ。たとえば「〈六〇年代詩〉の気風」でも「〈八〇年代詩〉の気風」でも何でもいいのだが(あるいはやや皮肉めいた言い方で「〈九〇年代Jポップ〉の気風」としてもいいかもしれないが)、それは個々の書き手が意識するしないに関わらず存在したものであり、それを見くだしてあくまでもひとつの個として書いていこうとする姿勢には疑いを差し挟みたいところだ。「気風」の存在を認めた上であえてそれに目を向けずに書くのなら(むしろ現代においてはそうした書き方が一般的であるかもしれない)まだいいし、そのような態度には一定の理念が入りこむこともあるだろう。だが、「気風」を見くだしてわがままにふるまうのは良くない。ひとりの人間が数え切れないほど多くの先祖が次の世代にバトンを渡した結果として生まれるのと同じように、いまここで書かれている詩作品は先行する多くの詩作品の存在なくしてはありえない。人は詩を書くことは出来るが、詩を発明することは出来ないのだ。
 いまの私の気分としては、二十一世紀の現在に至るどこかで「気風」の断絶や破壊があったのではないかと勘繰りたいところだ。だが、ひとりの詩の書き手が詩についてどんなに悩ましい思いを巡らしてみたところで、詩が相変らず次から次へと生成されていくのは事実であり、時にそれらひとつひとつの詩作品がそうした思いに無頓着にふるまってしまうこともまた事実であるだろう。いまも「気風」が存在するのかどうかと関わりなくそうしたふるまいをつづける詩作品たちはまるで放蕩息子のようでもあるが、それらの詩作品によって眼を見開かされたり感動したりする人がいる。そうした人々への誠実な問いかけまたは答としての詩を、ひとりひとりの書き手がとりあえず書きつづけていくしかないのだろうし、それをつづけていくことで新たな詩の「気風」が生まれてくるのかもしれない。



(註)稲川方人「気風の持続を負う」、荒川洋治「技術の威嚇」、吉本隆明「修辞的な現在」の三篇の論考は『現代詩手帖特集版 戦後60年〈詩と批評〉総展望』(二〇〇五年・思潮社)を参照し引用した。また「気風は断絶したか?」という表題は、北村太郎の論考「孤独への誘い」第1章「空白はあったか」を多分に意識したものである。




(二〇〇八年一月)


散文(批評随筆小説等) 批評祭参加作品■気風は断絶したか? Copyright 岡部淳太郎 2008-01-24 23:09:35
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