ZUZUさん『鳥人間コンテスト』を読む
楢山孝介


 ヒトラーの「わが闘争」を
 いつもポケットに入れていた
 まるでサリンジャーの小説の
 脇役のようなH君から
 十二年ぶりに電話がきたのは
 二年まえのことだった

 何気ない日常生活を過ごしている折りにふと思い浮んでくる一編の詩がある。初めて読んだ時には「お、いいな」程度の軽い印象だったものでも、その後自分の中でどんどん大きな存在になっていく一編がある。どうしようもなく好きになってしまった一編がある。そういった詩について書こうと思う。個人的に、感傷的に、やや気持ち悪いくらいに思い入れたっぷりに。


 十二年前H君は中国人の留学生にふられて
 二浪して入った都立大学をやめて
 名古屋の日雇い労働へ出かけたのだった

 ZUZUさんの詩を知ったのは、現代詩フォーラムに参加して間もない頃だった。ランダムに読んでいたうちに出会った最初の一編がどれだったか、今では思い出せない。連の分け方、漢字と平仮名のバランス、使用されている語彙の「ちょうどよさ」などに好感を持った。発表されている作品を一通り読み、いくつかを人に勧めたりした。その時はそれで終わりだった。


 その留学生が男だったと知ったのは
 名古屋の寮からもらった電話でのことで
 落ちこぼれ同士のぼくらでも
 そんな秘密もわけあえていなかった
 ぼくは同性愛者ではないとおもうと言ったら
 そう、
 とさびしそうに笑って電話を切った
 中日ドラゴンズはそのころまだまだ弱かったと思う

 やがて読み疲れる時期がやってきた。日々日々日々日々投稿され続ける詩の洪水を片っ端から読むようなことは元々していなかったが、それでもある程度は目を通していた。「今」に疲れた。「想い」に疲れた。ランダム巡回が多くなった。たまに好きになれる詩に出会え、ごく稀に大好きになれる詩人に出会えた。けれどもその頻度も、徐々に少なくなっていった。そうしてまた疲れてしまった。
 一息ついて、一番好きな人の作品を読み返すことにした。


 サン・テグジュペリをのせた飛行機が
 見つかったなんてニュースを
 きみだけはきっと信じなかったって知ってる

 彼あるいは彼女の作品は、ちょうど百編あった。百編で止まっていた。新しい作品は発表されなくなっていた。改めてじっくり読んでいくと、まだまだ好きになれるものがたくさんあった。「もう二度とこの人の新作は読めないかもしれない」だなんて、人の事情も知らないのに感傷的になって、読みながら涙が溢れてくることもあった。


 二年前ぼくはわるい女に狂っていて
 こころを搾取され
 借金を肩代わりしてボロボロにやせ細り
 それでもはかない純愛のつもりで
 H君から突然の電話は
 親があらひさしぶりね、と番号を教えたらしかった

「いかにこの詩が好きか」ということだけを伝えるつもりだったのに、感情がどうとか涙がどうとかに流れてしまった。書きたいことはもっとたくさんあったはずなのに、書いているうちに忘れてしまった。きっとこの詩に影響を受けているんだろうな、こういう詩人が好きなんだろうな、なんてことは、書いてもつまらない気がしてきたのでやめた。
「鳥人間コンテスト」の今年のテレビ放送日は今日(9/6)だ。


 テレビ見てみろよ
 テレビ、野球中継ではドラゴンズがぼろ負けしていて
 チャンネルを変えたら
 「鳥人間コンテスト」をやっていた
 おれだよ
 おれだ
 飛んでるだろ
 おれだおれは飛んでるんだいま
 都立大学でいっしょうんめいペダルをこいでいるのだよ

 とうとうHはペダルをこぎ始めてしまった。僕はまだ書きたいことの十分の一も書けていない気がする。詩を連ごとにぶつ切りにして貼りつけるなんてこんなやり方は失礼じゃないか、なんて気に病みながら、自分で貼りつけた文章に読み耽っている。
「鳥人間コンテスト」のCMが流れるようになってからこの詩を思い出したわけではない。現代詩フォーラム内で発表されている、いくつかの大好きな詩の中で、一番に浮かんでくるのがいつもこの詩だった。青臭いところもある、表記の怪しいところもある、全体的にやや不完全な印象も受ける。
 でも何かが、どこかが、僕に、僕の何かに、ジャストミートした。どう書いてもうまく表現出来ないことはわかっている。それでも伝えたい何かがある。


 ああよくわからないけれど
 たしかにそれはH君だったのかもしれない
 名古屋からだったのかもしれないし
 どこか知らない土地の工場からだったのかもしれない
 ポケットに「わが闘争」
 だれもつかまえられないライ麦畑まで
 だれにもつかまらない飛行機で
 いまきみはいっしょうけんめい
 ペダルをこいでいるのだ

「鳥人間コンテスト」は生放送ではない。H君は本当にペダルをこぎながら電話をかけていたわけではない。大記録の達成も、恒例の悲喜劇も、放送前に既に起こってしまっているのだ。
 そして詩は終わる。


 鳥人間にどうして
 コンテストなんてひつようだろう
 飛べるひとは飛ぶ
 ただそれだけのことだ
 そしてH君は飛んだのだ
 だれも知らなくてもぼくだけは知っているのだ

 感傷的文章に終始した僕の文章もここで終わる。「おれだよ、おれ、飛んでるだろ」という電話をかけてくる知り合いは僕にはいない。
 Hが乗っていると言い張った飛行機はどこまで飛んだのだろう。「落ちてるよ、今おれ落ちてる、着水した。水だ、水が入ってきたよ。じゃあ切るよ。落ちちゃったよ。ああそれと、今さらだけど、久し振りだなあ」なんて会話があったのかもしれない。
 読み直すたびに、一応ZUZUさんのページを確認する。何度見に行っても、投稿作品(100)の表示は変わらない。増えてはくれない。鳥人間たちはテレビ放映の一ヵ月以上前に既に飛び終えている。


最後に今さらながら、作品URL。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=76389


散文(批評随筆小説等) ZUZUさん『鳥人間コンテスト』を読む Copyright 楢山孝介 2007-09-06 02:16:42
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