「ラブアンドピース」緑川ぴの
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アオザイの揺らめきはあのときのままではない。アオザイは民族衣装なので流行などないように思えるかもしれないがそんなことはない。和服にも流行があることを思い出してほしい。アオザイという民族衣装は和服以上に変化を続けている。そもそも現在のアオザイは、ベトナムがフランス領であったころにデザインの完成を見た比較的新しい民族衣装である。また、アオザイはかつて青い布で作るものだったが、現在のアオザイにはさまざまな色がある。
などという話、おそらく確かな事実ではある。しかし、非常にどうでもいい事実だ。アオザイの揺らめきがどうこうという話は、リアルにもリアリティにもあまり関わりがない。日本人の大半は、アオザイに流行があるということに関心を持たない。アオザイのデザイン確立にフランスが関わったということも知らない。だとしたら、アオザイと日本人の関わりをリアリスティックに描くために必要な言葉は、「アオザイの揺らめきはあのときのまま」という、事実とは異なる言葉になるのだ。小田実を「おだみのる」と読むという話にも「アオザイの揺らめきはあのときのまま」と似たようなリアリティがある。私も高校生のときは小田実を「おだみのる」と読んでいた。私もアホな女の一人だということを、認めたくはないが、認めておこう。
私は「ラブアンドピース」というスローガンより「戦争よりセックスを!」というスローガンの方が好きだ。ラブアンドピースの権化みたいに思われているジョン・レノンは、オノ・ヨーコとのベッドインで「戦争よりセックスを!」と主張した。しかし「戦争よりセックスを!」というスローガンはいささか過激であって、耳障りがよくない。ラブアンドピースというスローガンの持つ落ち着いた甘さがない。だから今では「戦争よりセックスを!」というスローガンは流行らない。もしかしたらそんなものがあったことさえ忘れられている。ラブアンドピースの甘さは日本人の甘さにちょうどいい。カタカナで書かれてまるで一つの単語のように溶け合ったラブアンドピースの前にあって、あくまでもカギカッコをつけないと収まりの悪い「戦争よりセックスを!」は完敗だ。それは認めよう。
ヴァンヘイレンとベ平連のお笑いも認めよう。なかなか洒落ている。このまぬけっぷりにはほとんどリアリティがない。いっくらアホな女でもヴァンヘイレンとベ平連を間違うことはあるまい。ヴァンヘイレンを知ってる程度の知能があれば、ベ平連を知っているだろう。というか、この詩の話者は「ベトナムに平和を!」の時代を知っているわけで、だとしたらなおのことヴァンヘイレンとベ平連を間違うことはないと思われる。他の部分ではかなりリアリティを見せつける作者が、この連においてはずいぶんと不用意にバカバカしい光景を描いている。あんまり女をバカにしないでほしい。とはいえ面白いのは確かだから、まあ、百歩譲って認めよう。ヴァンヘイレンとベ平連をひっかけるとは、私にはとても思いつけないような高度な地口だ。
私は認めよう。「片思いの彼女に宛てたラブレター」も「めっきりと薄くなった髪の毛」も「あの頃のギター」も認めよう。小田実という希有な人物の死を詩に利用したことも認めよう。私にはひどくバカげたプロトタイプに思われる詩の話者のキャラクターも認めよう。彼女はおそらく現実には存在しないのだが、現実の女以上のリアリティを持つ。リアルではないからこそリアリティを持つ。男性に生まれながら女性として生きようとする人物が、しばしば本物の女性よりも女性らしさを発揮するように、非現実の人物に過ぎない彼女は、本物の女性よりも本物らしく見える幻の女性として読者の前に立ち現れる。このような人物を造形し表現することは、それがいかに典型であったとしても、いや、あるいはそれが典型であるがゆえに、なかなか困難なことだ。だから、私は、この詩が不出来な詩ではない事を認めよう。いやもっときちんと認めよう、この詩はなかなか出来がいい。うまくつくられている。
私は認めよう。
だが。
>ラブアンドピース
>愛と平和
>
>ひとびとがそれらを望み続けるのは
>永遠に手に入らぬものだと認めたくないから
これは、もっともらしく耳に響くが、嘘だ。愛と平和は刹那であれば人の手に入る。もちろん愛と平和は永遠には続かない。しかし永遠に続くものなどあるのか。有限な生命しか持たぬ人間が、永遠などという言葉をこのような場面でさらりと使ってしまっていいのか。さらに言おう。有限な生命しか持たぬわれわれは、有限な愛と平和で満足すべきではないのか。人は誰しも、ごく小さな、時間的にも空間的にも限られた世界でなら、愛と平和を手に入れることができる。どんなつまらない人間も愛するものをひとつくらいは持っている。愛の対象は人でなくともよい。昔の写真、拾ったビー玉、飼猫、四角く切り取られた青い空。ささやかな世界で人は一瞬の平和を持つことができる。われわれのささやかな努力は、その有限な愛と平和をほんのわずか広げる。ほんのわずかだが、それは時間と空間に対する小さな小さな勝利であり、私はその勝利を認めたい。
だから私は、「ラブアンドピース」という詩を認めない。