連作「歌う川」より その1
岡部淳太郎

      恥を忍んで、昔書いた連作詩篇を投稿しようと思いま
      す。一九九七年から翌九八年にかけて、「歌う川」と
      いう総題のもとに十七篇の詩を書きました。今回はそ
      れを何篇かずつまとめて四回に分けて投稿します。既
      に僕の個人サイトにも掲載されていますが、今回こち
      らに投稿するのは単なる思いつきです。いわば、思い
      つきが昔の詩を投稿することの気恥ずかしさに勝った
      形ですが、そうした思いつきを起こしたのも、この連
      作を書き始めてから今年でちょうど十年になるという
      事実があるのかもしれません。この連作は「祈る人」
      という主人公を設定して、その人物が川の上流から下
      流に向ってひとりで旅をする姿を描いています。全体
      を通してひとつの一貫した物語となるようなものを目
      指して書いたのですが、池澤夏樹の詩集『塩の道』の
      影響が多少あったかもしれません。こうした性質のゆ
      え、一篇ずつを単独で取り出してもあまり意味がない
      ものであるのかもしれません。



水源

新しい人類が生まれようとしている
山の中
ひとりの男が
ひとつの川の
水源を探し求めて
さまよっている
彼は哲学者
あるいは僧侶
祈りによって生きることを選んだ
最初の人類だった

かつて地球は 生きていた
完璧なまでに 生きていた
だが 見よ
いまや地球は 死につつある
完膚なきまでに死につくすまで
あと一歩
だがいまも
深い森と
高い標高に支えられた
山の中で
やがて大河となる川の
最初の一滴が
流れつづけている
それは宇宙と脚韻を踏みながら
地を潤し
草を動物を人までも 潤して
この大地の血管
川となる

哲学者であり
僧侶でもある
ひとりの男
彼は ひとつの川の
水源の前でたたずんでいる
(人は)
(自らの源流を確認することなしには)
(先に進むことが出来ない)
この地上に
新しい人類が生まれようとしている
旧人類の泥の停滞を背負って
祈りによってこそ生きる
やがて
哲学者 あるいは
僧侶のような
新しい人類は流れ出す
大河の 最初の一滴になるため
この水源からの
川のように
歌いながら
流れ始める



流れる

流れる
水は
水が欲しい
俺たちの仲間が欲しい
そう願って
流れ始めて
流れ
流れて
仲間を増やして
川になる

だが
彼には仲間はいない
ただのひとりも
そう
哲学者のような
僧侶のような
祈りによって生きる
最初の人類である
痩せこけた
男のことだ
彼は
山の中を
水源から歩き始めて
やがて
川となる
水の流れに沿って歩きつづけて
いま
山を降りるところだ
麓には
早くも旧人類の
泥が
散らばり始めている
何という
早過ぎる決定
それでも
彼は
歩く
川岸の
すぐ側まで
押し寄せて来そうな
古い
泥を
無視することなく
直視して
いまや
川となった
水の流れに沿って
歩く
川は
ほら
歌えよ
お前も一緒に
歌ってみろよ
と云っている
歌ってみた
声が出た
決して美しくはないが
他の誰でもない
自分の
声だった
祈るには
十分な大きさの
声である
歌うには
程良く音程の取れた
声である
世紀は
もうすぐ終るが
またすぐに次の
新しい世紀が始まる
彼は
新しい人
祈る人である
ひとりでも歌おう
この川に沿って
流れつづけよう
そう彼は
思った

川が笑う
一歩毎の積み重ねが
永遠への
始まりである





歌とは
何であるか
ひとつの秩序立った旋律を持つ
音の総体であろうか
歌とは
何であるか
ひとつの あるいはふたつみっつの 感情を言葉に乗せた
声の総体であろうか
いや
歌とは
そのようなものではない
歌とは
そのような範囲にとどまることはない
歌は
鼓動
人間の
宇宙の
いつまでも終らない
果てしなく繰り返される生の
息吹である
川は
そのことを知っている
祈る人も
そのことを
知り始めている



歌う意味

だから
人は歌う
歌は生の果てしない鼓動だから
人は
今日も
街で
村で
輪の中で
あるいはひとりで
歌うのだ
ほとんどの場合
人は歌の本質を
知ることはないのだけれど

だから
旧い人類は駄目なのだと
怒ってみても始まらない
祈る人は知っている
自らと
他の人々とを区切る
明らかな線があることを
だが
彼は悲しまない
諦念を持て余した
中年男のように
甘い肉体を夢見たりなどしない
彼には
歌がある
祈りがある
彼は超えるために生まれたのだ
生活を
日常を
そして自らが人類のひとりであるという
事実でさえも
彼は超えねばならぬのだ
だが
いまはまだ
彼はそのほとんどを超えてはいない
やがては超えねばならぬ
そのために
彼に
歌と
祈りが
手渡されたのだ
すべてを超えること
それが
彼が歌う
意味である

だから
彼は歌う
かたわらで歌う川と波長を合わせて
彼は歌う
彼の喉から漏れるのは
まったく新しい
それでいてどこまでも古い
旋律である
彼は歌う
歌うことは
宇宙に寄り添うことだから



星の川・川の星

いまや
川は山を降りて 大胆な
平地を
悠然と流れ始めている
当然のことながら
そこには歌がある
せせらぎという名の
誰も歌うことの出来ない
歌がある
当然のことながら
祈る人が 川に沿って歩いている
隕石はまだ来ない
だが彼は 川を見下ろすと同時に
空をも見上げている

そして夜
祈る人はいつものように川べりで 休む
どこかの淋しい家では
心ある人が 昼間はそれとは気づかなかったのに
夜になってやっと
この大地も地球という名のもうひとつの星
であることを知る
祈る人は そんな人の存在も知らず
また無数の人々の
宇宙塵のような思いも
まったく知らずに眠りこけている
鳥さえも黙りこむ
夜である

やがて
石の枕の硬さに
眠りは中途でさえぎられる
祈る人は
現に引き戻された夢見がちの眼で
川を見る
空を見る
まだ 真夜中
当然のことながら
頭上にはいくつもの星がまたたいていて
誰かの
隕石が成層圏で燃えつきて果てている
今夜もまた
無数の隕石が 死んでいる
その記憶の持ち主のもとへ 辿りつけずに
かくして
今夜もまた
人々の 牛の眠り
現の眠り

いまは夜
祈る人は
眼下の川と
頭上の空を
同時に見つめている
彼は 心ある人でさえも見ることの出来ない
光景を見る
至るところに
星が遍在しているのである
それは
頭上の星だけではなく
眼下の川にさえも
無数にまたたいている
川床の石は星で
川原の石も星で
川べりに建つ家の窓という窓も星で
祈る人の眼には
夢を見る少女のように星がまたたいており
その心臓は星の脈動
恒星の
炎である

そのようにして
祈る人の罪は
赦されもせず
罰されもせずに ただ在る
彼は淋しい家よりもなお淋しい
魂を持つ人である
頭上の星は星の川としてゆっくりと
眼下の星も星の川としてすみやかに
流れている
そのふたつの川の間に立つ人類は
どのような人々であるのか
たとえ塵のような思いであっても
たとえ隕石の到来を拒みつづける魂であっても
人は
確かにこの地上に 在る
彼等もまた
ふたつの星の川のように
隊列を組んでどこかへと
流れてゆきながら

いまや
人々はあらゆる星の存在を
忘れてしまっているのだが
ただひとりの 淋しい
祈る人は
悲しまずにゆくのみである
朝になれば
当然のことながら
彼はふたたび川に沿って歩き出す
そして川の歌にあわせて
自らも歌うのである
それもまた
至極当然のことであるけれど






自由詩 連作「歌う川」より その1 Copyright 岡部淳太郎 2007-04-01 21:07:13
notebook Home 戻る  過去 未来
この文書は以下の文書グループに登録されています。
歌う川