王女メリサ2
atsuchan69

 医者の意見では、
「いえ。ご病気ではなく、おそらく魔女ヘレンの呪いによるものです」
 と言います。円卓をかこんで王とその側近たちが議論しました。
「では隣国の魔術師をよびあつめ、呪いをとく術を授かろうではないか」
「それは無理かと存じます」
「なぜだ?」
「魔女はじぶんの住む国に帰属し、他国の術に関与してはならないという法があります」
「ではこの国に彼女をこえる魔術師はおらんのか?」
「はい。彼女の力が隣国一だということは多くのものが認める事実です」
「ふむ・・・・」
 王様は困りはてた顔で腕をくみました。すると大臣のひとりが言いました、
「王様。どうかこのことをいつまでも伏せておくわけにはいきません。議題がすこしちがいますがお許しねがいます」
「いきなり大臣、なにを言いだすのだ!」
 侍従がとめましたが、王様は彼の眼をのぞき、
「かまわん。話をなさい」
 と言いました。
「恐れながら申し上げます。魔術師についてですが・・・・われわれの先祖の時代、かつてかれらは王家につかえるものたちでした。しかし時がうつり平和な世界が蔓延(まんえん)するとわれわれは魔術をつかうものたちを疎(うと)んじ森へ追いやりました。しかし今、呪いの封印がやぶられ、ふたたび闇が地上を支配しようとしています」
「大臣、率直にいいたまえ!」
「わかりました」と、大臣は侍従にむかって言いました。「では申し上げます。」彼はつづけました。「御承知のとおり農作物につきましては、たいへん豊かな収穫が見込まれておりました。しかしながら・・・・今朝、われわれが農民たちのところへ行くと、まず牛の乳がでない、それから葡萄酒がぜんぶ酢になってしまったというのを聴きました。それであちこちの農家をみてまわりましたがどの家も同様のありさまでした。けれども事はそれだけでは済みません。わたくしが調べたところ、この国に備蓄された小麦のほとんどが灰に変わってしまいました。念のため、城の食料庫ものぞきましたが・・・・ぜんぶ灰です、我々はもうパンを口にすることはできないでしょう」
 おどろいて皆が立ちあがりました。侍従は顔をしかめ、
「大臣、なぜそのことを先に言わんのだ!」
 大声で怒鳴りました。手をあわせ、王様だけがひとりじっと堪えるように座っていましたが、やがて力なく皆にきこえぬほどちいさな声で、
「あす、メリサが帰ってくる・・・・」
 とつぶやきました。




 王様は妃のそばにすわり、
「そのような訳だ」
 と話しました。
「王様」妃はつとめて笑みをうかべ、こう言いました。「ヘレンの魔法の力は憎しみです。でもその力は・・・・それ以上の憎しみに勝つことはできません。わたくし、その力をしっていますの」
「なんだと。ぜひおしえてくれ、その力の持ち主はどこに居るのだ」
「今は・・・・たぶんこの国にはいないでしょう」
「遠くに住んでおるのか?」
「ええ。とても遠いところですわ」
「しかしその者がおれば呪いを解くことができる・・・・」
「はい」
「そうか」王様はこぼれるような笑みをみせました。「なんとかその者をみつけだそう!」
 するとその言葉をさえぎるように、
「お止めになってください。それよりもわたくし、もうここには居れません。遠く離れても、どうかわたしをいつまでも愛してください」
 妃は瞳をうるませて言いました。
「なにを言うのだ。妃、あなたはいつまでもわたしから離れることはない」
 王様は妃のこころの奥に秘めた想いをけして知ることもなく、ただ楽天家の口調でそう言いました。



 あくる朝。その日、その日でした! 近衛の兵たちがいくぶん元気のないラッパを吹きならしました。活気のきえた空に祝砲がいくども鳴りひびき、メリサをのせた白馬の四頭だて馬車が警護の者らにまもられ城の庭に着きました。パンをたべられなくても、噴水のある広場には大勢の国民がやってきて犇(ひしめ)きあいました。バルコニーから王様と妃がすがたを見せるとその声はいっせいにたかまり、祝砲の音をかき消すほどまで湧きあがりました。王様は国民にむかって手をふりながら、
「妃、もうすぐメリサが・・・・」
 そしてもう片方の手は妃の肩をしっかり抱いておりました。「まだ立っていられるかね?」
「ええ。どうか御心配なく」
 やがて先導していた警護の者が馬よりおリたち、黒塗りの馬車の扉をひらきました。一瞬、あたりがしーんと静まりかえりました。扉からピンク色のエナメル靴を履いた二本の可愛らしい足がのぞくと、つぎにあらわれたのは王女メリサ――きゃしゃな容姿とあどけない笑顔――でした。するとそのとき、「おおう!」というどよめきが再びおこりました。メリサはピンクの縁取りのある純白のドレスを着て、まるで妖精そのもののように見えます。花びらをちらした紫の絨毯のうえを魔女エスターの手にひかれて彼女は歩きだしました。エスターは深みのあるグリーンを基調にした帽子とドレスをまとっていました。
「王様万歳!」
 とだれかが叫びました。
「王様と妃ばんざい! メリサ万歳!」その言葉がいくども幾度も、何百何千と飛びかうなか、エスターとメリサはやがて玄関の階段のまえにきて立ちどまりました。するとふりむき、しばらくのあいだ軽い笑みをこぼして歓迎に応えました。まもなく背後で連打する小太鼓のひびきがつづき、そのあとラッパの音を耳にのこして玄関に王様と妃が出迎えにあらわれました。威厳と親しみをもって王家の家族らが一堂にあつまり国民たちのよろこびの声に応えるのでした。
 入室にあわせ、「愛のよろこび」と題された曲のながれはじめた城の中では国じゅうの貴族や著名人、また国王の親族また隣国の王と妃があつまっていました。エスターとメリサは両側にわかれた華やかな人の列をとてもかろやかにすすんでゆきました。皆が「おかえりメリサ」と声をかけました。王と妃がそのあとにつづいて挨拶をかわしながら歩いてまいります。そのとき、そのときです! 王様がとつぜん倒れました。妃はすぐさましゃがみ、崩れる王のからだを支えました。右の首筋にたったいま刺したばかりの毒針があります。妃は、つぎにおおぜいの人のたちならぶ広間に吹き矢をもった道化師がはしるさまをみて指差しました。
 音楽家たちの伴奏が止まりました。
「取り押さえなさい! あの道化の者です」
 すぐにも警護の者たちが道化をつかえましたが、なんとたちまち道化は一本のあばら骨を床にのこして消えてしまいました。
 エスターはメリサの両腕をつかむと、いきなり彼女を抱き上げて言いました、
「みてはいけないわ!」
 しかしメリサは持ち上げられたちょうど大人のたかさの視る位置から、そのありさまをじっと無表情な顔で見つめていました。ええ。彼女はけして泣きませんでした。
 妃は、もはや力なくまるで用済みの案山子のようになった王様を抱き、泣かないメリサを見上げ、そのとき「はっ」と気づきました。「最後にひとつだけ教えてあげるわよ、あんたの子供にはもう呪いがかかっているのさ!」母の言葉です。「いひひひ・・・・」という嫌らしい笑い声がふたたび妃の耳にこだましました。
「わあーっ!」
 威厳も格式もなく、妃はおもわず泣きさけびました。傍らに侍従が立ち、なにもできずその手を口にやったままただただ天井を見上げるばかりです。



 こうして翌日には一転、国じゅうがふかい哀しみにしずむと、どの家も朝がきたというのに窓をあけることもしません。石畳の街はしんとしずまりかえって猫の子一匹たりとも路地をよこぎりませんでした。どの村々にも病に伏せたひとの部屋のように重苦しい空気がただよっていました。湖には人とのいない舟が桟橋につながれてぷかりぷかりと浮いていました。告別式の翌日も、またその翌日も儘(まま)かわりありませんでした。
 喪服の妃はお付きの人とともに朝はやく王女の間にはいりました。メリサはまだ寝着のまま、あけ放った窓を背後に立って侍女としたくをはじめています。黒い服のエスターがもうそこに来ておりました。
「くりかえし哀悼の意を表します」
「ありがとう、エスター」妃としての自分を感じながらも、いつか少女だったころの楽しかった日々を言葉ににじませ、「感謝します」
 たったそれだけでしたが、みじかく想いを告げました。
「お引受けいたします」
「善意をおうけします、エスター!」
 とりみだすようにエスターをだきよせ、「メリサをお願いね」妃はそっと耳元でささやきました。
「・・・・」
 エスターはなにも言いませんでした。ただ少女の頃とおなじ瞳で妃をみつめました。ふたりは離れると互いに中指のリングをはずし、無言で交換しあいました。そのあと妃はメリサのもとへすすみ、
「王様はもういらっしゃらないの。あなたにはそれがわかる?」
 ともにふたりの眼と眼が合うように膝をおとし小さな肩に手をあてて言いました。
 メリサはつぶらな瞳をかがやかせ、
「メリサ、王様にだっこしてもらいたかったの」
 そう言いました。
「ねぇ。今から言うことをちゃんと聴いて。母さんは遠い国へ旅立ちます。あなたを残してゆくのには理由があります。あなたにその理由がわかったとき、そして助けを求めたとき、母さんはふたたびもどります」
 メリサの着せかけの服をなおし、「いま話したこと忘れてはダメよ」そう言って立ちあがると窓辺にたたずんで青くひろがる湖面のゆらぐさまをしばらく眺めました。「うつくしいわ。悪意のない、ありのままの景色・・・・」
 風もなくおだやかな湖面にいつあらわれたのか一羽の水鳥がうかんでいました。



 やがてゆらぐ湖面にうつす影はあたらしい国王と妃をむかえる城の周囲の華やかなもようでした。音楽隊がすすむとそのあとを馬にのった警護隊がつづき、またそのあとをさらに警護隊がつづきます。沿道をかこむ人垣のなか、幾輪にもなった警護の者にまもられ銀色の馬車が今しも入城するところです。王さまは妃に言いました、
「御覧。この歓迎のさまを」
「それよりもずいぶんと小さなお城だこと。これでは隣国に馬鹿にされてもしかたないですわ」
「ふん。城などいくつでも建ててやる」
 メリサはエスターとともに城の高みに立ってその様子をのぞいていました。やがて侍従がやってきて言いました、
「まもなく王さまがお着きになられます」
「ええ。そろそろね。ゆきましょう、メリサ・・・・いえ王女さま」
「爺、ひとつ質問があるんだけど」
「はい。なんなりと」
「今日のために大勢の国民からたくさんのお金をもらったの?」
「いえ、そのようなことは・・・・」
「でも町の人たちが言ってたよ、こんどの王さまは派手好きで大変だって」
「それは・・・・どちらからそのようなことを?」
「言わない。それはナイショ。メリサなんだって知っているの。行きましょう、エスター」
 動きのにぶい侍従をのこしてふたりはさっとその場から姿をけしました。エスターはスカートの裾をもちあげ、まるで落ちてゆくように回り階段をはしり降りながら、
「爺にあんなこと言っちゃダメ! 夜こっそりお城をぬけだしているの、バレてしまうじゃない」
 そう言いました。
「平気よ、あとでそんなこと聞いてないって言うから」
 メリサはジャンプしていっきに下へと落ちてゆきました。途中、スカートの裾をもちあげて段を踏むのが面倒になったからです。
 玄関には大臣たちがならんで立ち、襟や前ボタンを心配そうにいじりながら実はもうかなりだいぶ前から王を待つあいだのしばらくをお喋りにあてていました。ときどき会話がとだえますが、そのうち大臣のひとりが庭を埋めつくした人々に手をふりながらふたたびお喋りをはじめました、
「前国王がお亡くなりになるときに泣かなかったことはまさに致命的な事実だし、妃が城を出てお行きになられたのちも、『泣いている姿を見た』という者が国じゅう誰一人としていない。さすが魔女の娘・・・・」
「やめんかね大臣。その言葉、不謹慎ですぞ」
「いえ“魔女”というのはむしろ王女を賛美する意味で言ったつもりです」
「そもそも前の妃はまったくのそれじゃったからのう」
「ああ。妃はいまごろ何処に・・・・じつにお優しい方じゃった」
「しかし妃の出てゆかれたのと同時に、魔女ヘレンの怒りが消えたことも事実ではないか」
「・・・・」
 彼らはまた口をつぐみました。
 すると一瞬、馬のくつわがまぶしく光を返し、大勢のどよめきの声とともに銀色の馬車が見えはじめました。
「おいでになられたぞ」
「さてどの大臣がゴマを擂(す)るのか見ものですな」
 そこへメリサがあらわれて、一文字に揃ってならぶ大臣らのまえに立ちました。
「これは王女、今までいったいどちらに?」
 大臣のひとりが声をかけましたがメリサはまるで聴こえぬふりで、
「あの日、メリサ王女もこのようだったのね」
 そのあとやって来て彼女のうしろに立ったエスターを見上げ、だまって相槌をうちました。
 メリサの瞳には、このとき「あの日」力なくたおれた亡き父の影がうかんでいました。



「さて諸君! 輝かしい王家の柱となる者たちよ」あたらしい王は言いました。接見のための広間には城の重鎮たちがあつめられ、痩せて青白いかおの王さまはどこか頼りのない威厳をみせて玉座に就いていました。以下の言葉のあと、城のなかでは滅多矢鱈とないどよめきがおこります。あたらしい王さまは、誰もが予期しなかった言葉を口にしはじめました。
 ・・・・「聞け、前の国王は余の兄であるが、国をおさめるにあたってそのもつべき信念というのは、兄と余とでは全くちがう。かつて兄は国民をあまやかすと同時に国の富をばらまいて卑の者にほどこし、我ら神聖なる王国を滅亡にみちびくほどの危機をもたらした。また魔術のとりことなり、本来の職務をわすれ妃の戯言によっておこなう怠惰な政治と行政を執り行ったがゆえに多くの正しきものたちの不満を買い、また隣国からもさげすまれる弱体国への道をあゆみながら平然と問題をやりすごし、取りのぞくべき腐敗も問題への解決もなんら省みることはなかった。結果、その責任は兄みずからが血によって償うことになったのだ。しかし国王不在のここ数年のうち隣国はそびえたつばかりに栄え、我が王国は根底より国体をくずされ瀕死の状態にあるではないか。変えねばならない! 何をか? すべてである! そこで余は今ここにあたらしい法律を宣言する」
 王さまはどよめく者たちをそしらぬ顔でみすごし、いかにも意地の悪そうな顔の書記官のとどけた巻物をひらきました。



 やがて幕つきの高い椅子に座るメリサのまえに立ち、
「そのようなわけで王女様、わたしもこの城を去りますがどうかお許しください」
 初老の大臣はふかぶかと頭を下げました。王女は眉をよせ、まるで少女とはおもえないとても聡明そうな顔でこれを見ました。大臣は身をおこし呟くようにさらにつづけました、「増税と国有農地の拡大。そのくせ城の周囲の町には特権をあたえ、ご自分の支持者として飼いならそうとしておられる。・・・・反対者として処罰されるまえに不本意ではございますが出てゆくほかに道はないのです」
「どうかお気をつけて。お身をおかれる場所はございますの?」
 メリサは大臣にたずねました。
「はい。幸いなことに隣国で百姓をしているものが親戚のうちにございまして」
「それはなによりです」
「お心遣いくださりありがとうございます」



 また舟あそびのときにもある若い大臣が艪(ろ)をこぎながら、
「こうして王女様と御一緒できるのも今日が最後でございます」
 湖畔のみどりにひどく虚ろな眼をやり言いました。
 メリサは日傘をさしたエスターのかたわらに座り、
「なぜ?」と訊きました。
「戦争です。ボクは戦争がきらいなんです」
「せんそう? いつ起きるのですか?」
「きっとそのうちです。見ていてください」
「・・・・王さまは、そのようにお考えであられましょうか?」
 エスターが口をはさみました。
「はい。軍隊は日増しに増強されています。ついでに言いますと、重税で食べてゆけなくなった農民たちがいることもノッケのさいわいです」
「まあ」
「でも、戦争というのは、そんなにかんたんに起こせないのでは?」
「それができるのです。理由はかんたん、そのつまり・・・・」さすが少し言いにくそうに言葉をつまらせましたが、「王女様にはどんなことでも隠さずにお話いたします」そう言ってつづけました。「つまり亡き国王の事件を他国の仕業とでっちあげるのです」
 ああ、それがもし本当であれば、もはや人の仕業ではなく悪魔の仕業としかいいようがありません。


                   つづく・・・・


散文(批評随筆小説等) 王女メリサ2 Copyright atsuchan69 2007-02-25 00:35:07
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