ある美しい愛の固定観念について/「智恵子抄」をとにかく読む(1)/渡邉建志
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 砂木 
高村光太郎様に惚れた私は 千恵子抄は最初
嫉妬して よまないようにしてましたが(笑)
読んだらやっぱり 千恵子さんしかいないなあと。
光太郎様は 女性を巡って決闘したりした後 
千恵子さんと知り合い いろいろ思う事があったのでは。
晩年は 小学校にサンタクロースで行ったりしたようですよ。
外国に彫刻を学びに行ってたので 倭人とでるのでしょう。
知っているとは思いますが 本業は 親子で彫刻家だし。
私の初恋みたいな詩人さんだから 楽しみです 嬉しいなあ。
追記 私の持ってる詩集の注釈では 作家木村荘太さんが 谷崎潤一郎さんを介添えにして 光太郎様に決闘を申し込もうとしたとかで。愛称モナ・リザは 木村さんの方にいったそうです。
実際にしたかどうかは わからないけど 失恋しちゃったんですね 光太郎様は。
- いとう 
- 恋月 ぴの 
頭で考える事には、流行り廃りありますが、愛が廃れたことは
人類史上一度たりとも無いようです。たぶん、愛は心で考える
事だからでしょうか?愛に生き、愛に死す。良いなあ(^.^)
光太郎、Yockも好きなので楽しみです。期待してます。
ありがとう
- 岡部淳太郎 
- 簑田伶子 
おもしろかったです。
- 石畑由紀子 
続きも楽しみです
 
作者より:
>砂木さん

やや、決闘事件とは知らなかったです。激しい人だったんですね。ちなみに倭人ではなく矮人なので、やっぱりとことんバカにしているんだと思います。僕の夢はいつか智恵子の裸体像を見に行くことです。十和田湖の。「智恵子の裸形をこの世にのこして/わたくしはやがて天然の素中に帰ろう」が忘れられません。

追記 ほう、そうでしたか。申し込まれたわけですね。情報ありがとうです。

>Yockさん

失われた愛の形というのはあるきがするのです。時流によって愛の形は変わってしまう気がしていて、愛が例えば上高地や軽井沢の澄んだ空気の中で清らかに(性的行為なく)行われるということはもうないような気がして、それに対する挽歌のようなものを書きたいのです。
>簑田伶子さん

ありがとう。面白いものを書きたいです。
>石畑さん

プレッシャーだなあ(w なかなか書けないでいます。

すみませんまだかけません

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