神経の夢/由比良 倖
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

自閉的に隠る存在の渇望をわたしという直接的な視点と君という客観的な視点から見つめさせ、それを私たちという複数の視点で存在の有無を問い質そうということでしょうか。文体に趣向が置かれている様にも思いますが、最後はやはり死んでしまいたい、と絶望感に打ちのめされる。ならば、私はやめて死んでしまいたい。これを三連すべてに置いてしまう。というのも面白いかな、と。でも、あまりにも悲観的になってしまうのかな。

---2023/09/26 06:59追記---
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ひだかたけし
〉あまりに自分について、考え詰めていると、不安になって、
時には今すぐ死ななければどうにもならないような気持ちになります。

「考え詰める」という論理的思考、理論理性の抽象性を超えること、
思考という力動を実感すること
先ず肝心だと僕は端的想いますが…
 
作者より:
>アラガイsさん

僕は心が弱っているかもしれません。
あまりに自分について、考え詰めていると、不安になって、
時には今すぐ死ななければどうにもならないような気持ちになります。

この詩は、自分についても、君についても、私たちについても、
ひたすら悲観していて、単なる自分の、人付き合いの苦手さを、
他人のせいにしてしまっている、と今は思います。

悲観的な世界観が、詩のモチーフとして悪いとは思いませんが、もう少し、
最後を、死にたい、で終わらせるのではなく、孤独でもいいので、
希望のある言葉で終わらせたかったな、と思います。

いずれは、もしかしたらすぐにでも、負の思考のループから
抜け出ることは出来るかもしれない、とは常に思っています。
誰にでも、不幸から抜け出すことは出来るし、
その力が、自分の中にあることを感じていて欲しいなと思っています。
それを詩で書くのは難しいことなのかもしれませんが、
表現したいのは、やっぱり希望についてのことです。

>ひだかたけしさん

論理はとても大事だと思いますが、それも非論理的なことを知っていればこそですね。
僕は論理的思考をしているどころか、まるで分かり切った暗い言葉を、
頭の中でぶつぶつ、繰り返し唱え続けているばかりです。
いつまでも、ぐずぐず腐っている訳にもいかないですね。
暗い思考のループから、そろそろ出られるような気もしています。

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