[26]……とある蛙[2011 05/23 10:01]☆
>>24
まず、ブライ自体の詩が持っている切り口というのが、おそらくトウモロコシ畑の中の柳の木に惹かれて同化され落ち着きつつある「僕」の感覚、キジを撃つという目的を忘れて無防備になって行く「僕」という存在を掘り出してゆくというところにあると思います。この切り口がないと奇妙な行動に関する技法的な効果は感じられなくなるのではないでしょうか。
>草むらで、すわりこんで
>うんうんうなっている
何かに苦しみ呻吟している感じがして
>かかとをあげちからをこめて
>わきばらをかかえあげて
>やなぎの木の下で
>こおどりするすがた
この辺りも身体全体に力の入ったイメージがあり、
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