【批評祭参加作品】いい仕事の核/深水遊脚
 
分は関係ないと考えたり、同じ宮沢賢治の童話『セロ弾きのゴーシュ』のことをぼんやりと思い出してみたり、そんなふうにこの詩に集中することなく距離を置いていたのだと思う。ただ、楽器を少しやっていたことのある私にとってこの詩のような楽器の弾き手とその師匠の関係はわからなくもないのだった。再読してそこに思い至った私はあらためてこの詩にちゃんと向き合った。この詩には私を拒む何かがあった。だからこそずっと気になっていたのかもしれない。無邪気に空のパイプオルガンのイメージと戯れることを私に許さない何かがあった。頷ける、でも、私からは遠い。もう戻れない地点にこの詩はある。そんな感覚。これと同じものを茨木のり子の詩『
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   グループ"第5回批評祭参加作品"
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