【批評祭参加作品】いい仕事の核/深水遊脚
匠の予言は弟子の2通りの将来を描いていた。ひとつはおそらく弟子がその素質と力を失ってしまうだろうという悲しい予測、もうひとつは弟子がひとりの娘を思う気持ち、さびしさ、侮蔑や窮乏を音に変えてゆくという希望だ。希望はさらに、雲間から洩れた光をパイプオルガンに見立てて弟子がそれを力のかぎり弾くというイメージへと展開する。その希望の部分を人に感じさせるいい音、あるいはいい仕事の源泉は何だろうか。
いったん『告別』と離れて『セロ弾きのゴーシュ』について考えてみる。ゴーシュがひとりで練習するだけでは彼はいい演奏はできなかった。猫、かっこう、狸、野鼠の親子がいなかったらきっと見違えるような変化は訪れなかった
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