03/19 20:56
佐々宝砂
「犠牲的行為」って言い方はどんなものでしょうか、Fiorinaさん。別に犠牲を払っているわけではないと思うんですよ、私も、そして川村透さんも。ただ理想をめざしてるのだと思います。自分が住みたいなと思う理想のまちをつくるのは、なかなかたいへんです。そう簡単に「美しい町」はできません。まず、個人によって胸に思い描く「美しい町」がずいぶん異なるので、現場の労働そのものよりも話をまとめるほうが難しいのです。
わが町の首長は言葉で人を動かすのがたいへんに好き、かつ得意とする人で、魅力的に響くさまざまなキャッチコピーによってまちをかえてきました。新幹線がとまり、やがて空港もできる。暮らしやすくなり便利になる。観光客もくる。そうした彼の言葉によって心動かされた人々は、彼が約束した町の発展を待ち望んでいますが、実際には商店街はさびれ観光客も思ったようには増えず住民は高齢化し、まちはさびしいかぎりです。
私は言葉で人を動かしたくないなあと思うようになりました。うまい言葉で人は動きますが、私はそうした言葉の力を実際的な問題に使いたくないのです。もっと馬鹿馬鹿しいことに使いたいのです。大笑いさせるとか、子供を怖がらせるとか、おんなのこを泣かせるとか、そんなことに。