雑談スレッド4[144]
03/31 03:07
佐々宝砂

なんか突然のようにのーみその具合が悪くなり、いくつかの詩にポイントをいれておきながらコメントにヒヒョーめいたことをかいてしまったです。うーむ。批判的に見てると思われるとつらいなあと思うのですが、ポイントを入れた以上、私はその詩を買ってるわけなので、その点ご理解下さい。ものすごく矛盾してきこえるかもしれないけれど、私と話が通じないように思える若い人の詩、疵もあり未完成でもある詩が、私は好きです。つーかそういう若い人たちに話が通じたらいいと思うし、同じくらいの年の人からポイントをもらうより若い人にもらう方が私は嬉しいです(でも、私の同世代より年上なみなさん、あなたがたのポイントもありがたくいただきます)。なんだかこの現代詩フォーラムにいると、ものすごく世代の断絶を感じます。ということを、TAKEさんの>>142を読んで思ったのでした。若い人は破壊的かもしれないし、保守的かもしれない。でもとにかく、彼等は、私がかつて彼等に対して抱いていた印象よりは健気で、がんばっているように思います。私は彼等をもっと誉めるべきなのかもしれないけれど、私はうまいこと誉めることができない。少なくとも共感はできない。「かつて私もそうであった」という共感しかできない。私は言葉尻をとらえて批評をします。不必要と思われる言葉について「それはいらないんじゃないか」と言ったりします。私はビーナスに腕をつけるのではなく、もぎとろうとしているのかもしれない。

私にとって、詩作に精進するということは、自分で自分の腕をもぎとる術を学んでゆくことでした。推敲とは、自分で自分の腕をもぎとること、自分に不必要な部分を、誰に言われるでもなく自分で切り取ってゆくことです。つまりそれはかなり痛い。自分で自分の腕をもぎとるのはかまわんと思うのですが、人の腕をもぐのはどうなのでしょう。それはいけないことかもしれない。いいことかもしれない。まだ私にはわかりません。
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