2009 03/09 22:53
佐々宝砂
またあがりましたよ(笑 sage
ひとは犠牲を横目にみるかまともにみるか、
あるいは自分が犠牲になるしかありえず、
わたしはいちおう犠牲をまともにみているつもりです。
当時の祖父母の実際の生活はわかりませんか、
いま現在のわたしのこの生活がおいしい「果汁」であることは
承知しているつもりです。
釈然としないかもしれません。説明がきちんとできず申し訳ないとも思います。
しかしなにがどうあってもなにをどういわれても、
わたしの基本的な考えはかわりません。
なにかおきたとき、わたしは逃げます。
きれいなやりかた、立派なやりかただけで逃げおおせるとは思っていないので、
きっとズルいやりかたも使うでしょう。
できるならあくどい手も使うでしょう。
それがわたしの祖父の教えです。