2008 12/30 00:35
小池房枝
sage 曖昧であることも曖昧を排することも言葉はどちらも自由だろう。曖昧さを楽しみがちな詩のようなものでさえも(異化作用ってこれ?ちょっと違う?)などと書いていて思ったのだが、ナイジツとか行間とか託されて隠されているはずの心象風景って量子コンピュータみたいだ。複数ある可能性を重ねたままでがーっと計算していって表現するときにだけ収束させるんだな、のかな。
よくわからないもの/ナイジツを別のよくわからないもの/どうとでも読める詩で表現したとして表現といえるのだろうか。でもこれは何でももうちょっと丁寧に書いてもうちょっと丁寧に読もうよというような話とは別の話。