質問スレ[174]
2004 09/13 23:27
川村 透

僕は推敲には手間がかかる方です。
一気にかけることなんて、めったにない。はじめから書きたいことがクリアになっていることもめったにない。手探りで無骨にやるしかない。なぜなら、詩を書くセンスなど僕にはないのだから。僕にとって一番大切なのは、ほんとうに「これ」を書かなくてはならないのか?という「発語の切実さ」を自分に問うこと。推敲と言っても、寝てもさめてもプリントアウトした「詩のできそこない」をポッケに入れていて、ほんとうにこれが、この言葉がこのつながりがこの句読点がこの改行がこの空白が僕にとって切実なのか?もっと切実な何かは他にないのか?と問い続けてペン持って手を動かすこと。隙間、はないか?逆に贅肉はないか?それと同時に、自分自身への「誠実さ」以外に、ほんとうにこれで「伝わるのか?」という読者としての目で綱引きを始める。伝わる、ためにはまず第一に、一連目、一行目、タイトルが、「つたえたいひと」の視線と思いをキャッチし読み進めてもらえるように考えなければならない。計算と理性と感情がひとつのベクトルに、いつか収斂することを信じて続ける、ただ続ける。行き詰ったら推敲の履歴をいくつかさかのぼる、発語の切実さから、ver 1.00にまで戻ることもある。しかしまた、1.01b 1.02bとパラレルワ―ルドのように枝わかれした世界をいくつも創る。信じていればいくつかの「これしかない」が響いてくる、ベクトルは収斂してくる。同時に音読を試みている、韻律は詩の論理として思わぬ地平に導いてくれる。KJ法的コラ―ジュと呼んでいる僕のゆさぶり方で言葉が僕に教えてくれる。いくつもの「これしかない」があるひとつの「そうだったんだ」に変わる頃、ひとつひとつの言葉が、行が、連が、句読点が、空白が、改行が、韻律が声が、あるべきところに精一杯「近づいた」ことを教えてくれる。そこでようやく未練たらたら、あきらめるのだ。
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