2024 09/28 01:44
朧月夜
足立氏こんばんは。
いろいろと考えこんでしまって、熱を出してしまい寝込んでいました。
戦争、犠牲、自己犠牲……足立氏にとってはやはり社会や社会性(当然、それは人間によって定義・分類されるものではあります。少なくとも過去においてはですね)。そのフラクタルな表れとして、詩……たぶんこれからの詩、というのを捉えようとしているのかな、と感じるものです。そのうち、AIが他のAIと対話して新しいデータを構築するようになっていくのかもしれませんが。
ChatGPTがダウンロードされた端末のなかでそれほど複雑なことをしているわけではないでしょうから、開発者が注力しているのは、データベースのデータ自体のほうを最適化することなのかな、という感じがしています。あるいは、データベース内にユーザーとChatGPTのやり取りも記録しているのかもしれません……
都知事選のときに石原構文というものが流行りましたけれど、個別の文章を意味として参照するだけではなくて、文章の流れからユーザーの趣旨を理解する方法を変えたり、出力すべき回答の順序についても修正しているのかもしれませんね。inkweaver氏の出力している回答を読むかぎり、十分読むに耐えるものになっているようですから、今後はインターネット広告を書く仕事などもほとんどなくなるでしょうし、そうすると、わたしの仕事を奪うChatGPTの仕組みについて、詳細に調べる気にはなれないのですが。
足立氏の言うところの「辞書詩」といえるようなもの、たしかに戦後詩にも初期のネット詩にも多くあったなあ、などとも思い。今は、あまりそうした作風の詩を見ることはありませんが。詩とは何? と語ってインテリぶりをアピールすることも、詩とはこういうものと自分に言い聞かせて安心することも棄却されて、詩とは何だか分からなくても、とにかく自分が納得できるような文章を自由に綴りたい、と思う人が増えたということでしょうか。
タイトルに「AI詩→現在詩」とあるように、足立氏におかれては、AI詩はあくまでも現在詩に至るまでの過程にすぎないと、意識的にせよ無意識的によ考えられているのかな、ということは感じます。
神林長平の小説なんかだと、AIが書いたという体裁の小説、人間がAIと共同で作ったという体裁の小説(このとき、文書中の記述は、必ずしもその作品世界の事実を示しているわけではない、という説明がなされています)、主人公が「私の母は姉だった」という文章を入力すると、AIが「それは文章としておかしい」とひたすら却下する小説などもありました。最初の2つは「敵は海賊」シリーズ、最後の1つは「言壺」という短編集です。ちなみに、「言壺」の最後のページには「我、勝てり」とだけ書かれています。
もっと他にいろいろと思うことはあるのですが、長くなりますので、これくらいでご容赦ください。
ちなみに、わたしの頭のなかで膨大な考えが生まれたということを考えると、足立氏とinkweaver氏が書いた元々の文章は、それだけ意味や秩序の元になるものを豊富に内包しているということで、そういう作品がやはり良い作品なのだろうと思います。最初はポイントはつけずにコメントだけにしようかなとも考えたのですが、やはりポイントを付けて良かったと言いますか、ほっとしています。
ではでは。