サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと[148]
2024 04/30 00:58
足立らどみ

四半世紀前の青土社関連のブログのログを読んでから考えてみる。

「現代芸術」が“高尚”たらねばならぬ理由(わけ)
November 21 - December 11, 2000
http://www.archivelago.com/Garden/Fountain/music_writing/koshotaru_riyu.html


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創作サイトには本物の専門家で最先端で活躍している方はすくないけど、
だからと言ってそれぞれの創作意欲を削り合うことの時間の無駄使いは、
やめにしようではないかという風潮もでてきたようにも感じ始めている。

なので、その先のログを残してみようと試みてみるのですが、例えば、
芸術論と人格攻撃がごっちゃまぜになって遊んでしまってた今までの
創作サイトの「よくある論争」では、その先のステージは用意してある
のに、多くの参加者が、うんざりしてしまい(なかには一度きりの人生を
ボウにしてしまい)、その類いは参加しない(私は基本的は最初から)で、
例えば、上澄みの暖かい泉で身体を清めるためにネットを利用している。

際限のない詩の領域にハマるとキリがなくて水辺で愉しんでいたいけど、
手の届く範囲にいるのも実は生身の人だったりするものだから
詩のサイトでは臨床心理学者のいうハリネズミシンドロームが
ベールとなり覆いかぶさって、それを逆手に取り承認欲求者が
跋扈してしまう傾向から脱却できずに現実の時間よりも数十倍は
速くなっているネット的な時間だけが性懲りもなく過ぎてきたのかも

そう、客層は違えど、繰り返し、繰り返し、繰り返し、、

今の時点で思うことは個人的には、詩を高尚低俗の切り口で判断する愚は
未来の自分に笑われるだけのように感じるけど、時のテーブルに置かれた
お茶菓子は、取り巻く人とのなかで何も話題にならなくても意味があるし
一歩すすめると、そのお茶菓子を買うことは別の切り口による評価であり、
高尚低俗を論じてみても無意味なことだと思うのだけどね。どうだろうか
よくわからない


2024年4月
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